50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 229 2024/09/28

前回書いてより1ト月経ってしまった。風邪で数回休んだ。風邪にしろ、腰痛にしろ、1度痛めると回復に時間がかかる。しょうがないことではあるが。

 

剣の肝を説いたものに「切り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 一歩踏み込め 後は極楽」という歌がある。有名な歌で、細部の表現に異同はあれど各流派に遍く伝わっているそうな。

これまで、「相手の剣を恐れるな。一歩踏み込み、相手の剣の下に入れ」と言う程の教えと捉えていた。しかし、この解釈では今一つ甘いのではないか。むしろ「切り結んで後に、更に一歩踏み込め」と言っているのではないか。今日の稽古での先生の説明を聞いて、そんな示唆を受けた。

同輩の相手をしていてよく感じるのは、つながりが途中で切れてしまうということである。本来は、剣と剣がぶつかり、更に相手の剣が落ちるまでは連続した一つながりの動作であるはずだ。それがぶつかるまでとぶつかって後の2段階に分かれてしまう。一拍子であるべき動きが、ぶつかった直後で1段目のロケットのエネルギーが尽き、改めて2段目のロケットに点火するから、その間に相手に対応されてしまう。一拍子ではなく、一・二の二拍子とよく批判されるが、その大きな原因の一つはここにある。

どうも温い文しか書けないが、一拍子の剣技のためには剣と剣が交差した後の動きまで予めイメージしておく必要があり、剣が交差した後、更に一歩踏み込むことこそが後半の動きそのものなのかもしれない。それはまた、剣に身を入れるということの別の謂いかもしれない。

●それにしてもつくづく思うのは、剣の技と言うのは、剣と剣が交差する前後の動きを言うのではなく、その前段があり、交差前後の技そのものがあり、フォローがある。そして同時に必要なことは、「突破する」または逆に「入れさせない」という意思をその一振りに籠める気の強さである。これはまた別の鍛錬である。

稽古日記 228 2024/08/31

剣に身を入れる

 

早く書くと公言したが、突発的な出来事など有りて今日に至る。

 

★実は、どうすれば剣に身を入れることができるのか、「こうだ」というイメージが未だわかない。而して今は、身に付いた悪い癖を一つづつ矯正していくのみか。

●中心がずれている。どうも左(相手にとっては右)に中心線がずれているらしい。身体が捻じれているということか。その結果なのか、表の技は掛かりが甘く、裏の方が良かったりすることがままある。

●握り、特に右手の握りが強く、硬い。結果、刃筋(で良かったか?)が波打つことがある。今になって尚そんなことを言っていると自分でも思う。剣が接触してから、右手で押し込む悪いクセの一因でもあるか。

●溜める癖がある。チローが打席で一連の儀式を行うように、自分の中の諸要素をチェックして同期させ戦線を構築することに要する時間が、即ち溜める行為。また、全く別の話だが、相手のリズムや攻撃に合わせるべく待機するという意味での溜めもある。

前者について言えば、相手が動き出してからそれを行うようでは遅い。相対した時点で作業は完了している必要がある。さらに言えば、(相対する前から)即対応可の状態を作り、維持しておく必要が あるだろうし、それは個々の技とはまた異なる次元の鍛錬の話。

後者について言えば、受ける受けないという問題(「剣に受け無し」)とも関わるが、相手に合わせるのと、待ち構えるのとでは根本的に異なる。一刀流では「常に攻めよ」と教える。蜘蛛が網を張り、獲物が掛かるのを待つのも攻め。ならば、前項と同じく、相手の仕掛ける前に網を張り終える必要有。而して、これも別の鍛錬の問題。

●私だけではないのだが、相手の中心を捉えることが、途中で、例えば剣が接触した瞬間に切れてしまう。最後まで、相手の中心への侵入を維持して、ここで優位を保っていないと空間を支配できない。剣がぶつかった場所、その極めて狭い範囲での戦いになってしまう。

関連して、即ちせっかく網を張っても自ら解いてしまうことになる。何というか、剣術では、合気道柔術でもそうなのだろうが、複眼で見て、複数の戦いを同時に起こさないと、戦いに勝てない。技も掛からない。そういうクールさが求められる。

 

★稽古中、一度剣がとても重いと言われた。身が入った結果なのか、それ以外の何かなのかは判らない。重いだから手力の類ではないだろう。身が入ったとして、何がうまくいったのかもよく判らない。されど、たまたまにしろ、出来たということは行い得るということだ。

稽古日記 227 2024/08/10

石川先生の指導

 

摺り上げ、摺り下げ

●手で振るのではなく、剣に腰が入っていれば、技としては難易度は高くない。されど、手で振っているようだと道遠し。

●中心を取り、明け渡さない。そもそも正眼に構えた時点で、防空圏が出来ていなければならない。切先は相手の中心線上に。私はどうも右にずれる癖がある。そこから直す必要がある、とは。

●裏剣も基本は同じ。

●幸い、時間はたっぷりある。体力と気力が見合う程に伴わぬだけ。

稽古日記 226 2024/06/15

本日の参加者は2人。各自の課題に即した密度の濃い稽古であり、面白かった。

以下覚えていることのみ。

●軸を立てる。そして軸を動かさない。これは前回指摘されたこと。天地の軸と自分の中心軸を重ねる。相手の中心を捉えている積りでも、自分の軸が定まらなければ唯の妄想。今日、意識して気を付けた積りではあれど、場面場面により濃淡があるように思える。例えば、相手の中心(と私が捉えている場所)が向かって右にずれていると指摘された。そう言われれば、体を右に開き気味にする癖がある。中心を捉えている積りで、捉えていなかったということ。

●八双の切り落とし

相手の右肩(右半身)を落とす。その為には、自分の左半身で相手の右半身を制圧しなければならない。自分の左半身の軸で相手の右半身を捉えて離さない。これは相対して一礼した時点から始まっている。誇張すれば、この時、相手の左半身は無視乃至放棄して構わない。

剣を相手の頭上(中心)に飛ばす。この時、如何に切先に身を入れらるかが問題。ピラミッドのような三角形を中心に作れれば、相手の剣はその内側に入れず、盤石のまま切り落とすことが出来る。となると、身は三つの方向に同時に働くということか? 一つは自分の左半身で相手の右半身を抑え込み続けるという方向。二つ目は相手の中心に直線的に入る方向。これは相手の剣の下に入るということでもある。三つ目は自分の剣の切先に身を入れる方向。そう言えば、半身の入れ替えの動きが、切落しの要諦だと前回やった。

剣に身を入れる。上手く出来ない、判らない。身が入っていないということは判る。自覚はある。されど、ではどうする? ヒントはたくさんある。が、こうすればという道筋が見えてこない。下手な鉄砲で数撃つしかない。

●うねり返し

裏の切落としと考えればよいとのこと。ここでも要は、剣に身を入れること。而して一番苦手で、うまくいかない技。また、ここでもピラミッドの如き三角形を作り、その中に入ることが肝。でなければ、打ち下ろす相手の剣に負けるのは自明のこと。

●裏剣

ここでも、剣に身を入れ、中心に三角形を作り入り込むこと。ある意味、それが全て。それはまた、相手の剣の下に踏み込む、身を晒すことでもある。「切結ぶ剣の下こそ地獄なれ。一歩踏み込め、さすれば極楽。」

中心に立てる剣の位置が低いと指摘された。物打ち同士を当てるべし。

自分の剣が 描くライン(軌跡)が見えない。まだまだと言うこと。

兎に角、当面の課題は正確に軸を立て崩さないこと。

そしてどうにかして剣に身を入れること。

接点を崩さずに最後まで維持し、且つ全体を1拍子で完結させること(途中でやめないこと)

稽古日記 225 2024/06/01

稽古をさぼっていると、知らず知らずのうちに落ちていく事柄がある。特に基本。毎回の稽古の目先に追われる内に、その土台となる基本の動きは忘れられ、自分の動きやすいように改変されクセとなって居つくことになる。当然自分では自覚しないし、技もきれない。

●今日指摘されたこと。軸が立っていない。ぶれている。天地の軸に自分の中心軸を併せ、動かさない。キホンのキだけど、意識から抜け落ちていた。自分では相手の中心を捉えている積りでいたが、それは勝手にそう思い込んでるという話で、自分の中心を自若として立てた上で相手の中心を捉えられなければ、少なくとも武術的に有効な相手の捉え方とは言えないのだろう。そうして初めて、3次元的にというか、立体的にというか、合気道で言う三角の関係で彼我を捉えることが出来るのだろう。

●特に八双がうまくいかないが、これも自分の軸を立てるという意識の欠如が原因の一つとなっているに違いない。体が突っ込むというクセも、下半身の意識の欠如の結果。

●何より問題は、自分の剣の軌跡(通るべきライン)が見えないということ。また、常にワンパターンのリズムで、且つ事前運動があるので楽に対応されてしまうこと。剣を飛ばす、気を飛ばす、気息を飛ばす、1拍子(1呼吸)で技を成立させることなど、改めて吟味すべし。

●本日の課題であった「剣を引くという悪いクセを改め、相手の剣に乗る、落とすためにはどうすればよいか」については、収穫有。左右の半身の入れ替えの動きを使うことが肝要。結果として、右手ではなく左手を使うことにもなる。

稽古日記 224 2024/04/27

家事都合で稽古を長期に休み、ほぼ2か月ぶりに出席する。

2か月ぶりの登場という戸惑った空気はまるでなく、前回は休んだね位の感じで稽古に受け入れてもらえて、安心したと同時に嬉しかった。これまで体調他により出席したり欠席したりの参加態度だったから、まぁいつものこと位の印象なのかもしれないが。とまれ、それなりに居場所があるというのは嬉しいことだ。

閑話休題。今日のテーマは中心を取ること。敷衍すれば、如何に中心を取り(抑え)、取るだけでなく取り続け、最後まで技を成立させるかということ。

具体的には、正面打ちに対する摺り上げ、横面打ちに対する摺り上げ、払い小手、払い、摺り下げなど。

実は、稽古の中で成る程と思うことが2、3あったのだが思い出せない。覚えていることのみ記す。

●正面打ちに対しては真っ直ぐ、横面打ちに対しては自分の耳の辺りに、剣を立てる。当然ながら、迎撃したり払ったりするのではない。中心に立て、交点に頭を入れる。正直に書くと、ここが今一つ合点がいかない。合気道の1教では、2つの異なった方向の力を働かせる。これもそれに似た異なる方向の力を用いるのだろうか?これは次回試してみる他ない。

●払い。私の最も得意とする技。私なりの留意点を記す。多くの人のする間違いは、回転運動をしてしまうこと。構えた位置から、バットを振るように剣を振ってしまう。自分の中心軸を回転軸として身体を回転させるが、これは間違い。剣術に回転運動は無い(と思う、多分)。そうではなくて、構えた位置から、切先を直線的に相手の頭上(中心)に飛ばす。私は右腰を相手に飛ばす感覚で切先を飛ばしている。但し、実際には腰は動かない。左腰や左腿で動きを抑え込む感覚が必要。これは腕で剣を振らないための方策かもしれない。…この感覚を他の技でも使うことが出来ればその技もうまくいくのだろうが、なかなか。

●戦い(?)は剣を構える前、互いに相対して一礼する時点から始まっている。前に書いたことがあるが、相対した時点で、自分の中心で相手の中心を捉え、抑えようと仕掛けている。先生と対する時、その仕掛けを感じる。残念ながら、他の人には殆どそれを感じない。目に見える戦いの始まる前から始められるこの戦いを、宮本武蔵五輪書で確か「(剣を構える前の)背比べ」と呼んでいた気がする。

●中心を取るだけではなく、取り続け、技の成立に結び付ける持続力が求められる。それについて、成る程と思ったことがあったのだが、先に書いた通り思い出せない。

タイプミスが多くなってきた。疲れてきたということ。思い出したら、改めて続きを書くことにする。

稽古日記 223 2024/02/10

うねり返しの変形? 面打ちに対する返し技。要諦は、相手の中心に身を入れること。且つ、なるべく小さな動きで。

結果オーライ的に上手く出来たこともあったけど、安心して良いものやら。厳しく打ち込まれたら、多分対応できていない。相手の中心に剣を入れ続けること、切先に身を入れることの2点のみを念頭に置いたつもりだが、果たしてそのようになっているのかどうか。

最近、指導の中身が変わってきたように感じる。唐突に指導内容が別物になったという訳ではなく、いづれも以前から言われていたことではあるのだが、その重心が少し移動したように感じるということ。今までは、相手の剣に乗り、相手(の肩)を抜くことをメインテーマにしてきたと思えるが、最近は如何に自分の剣に身を入れるか、そして相手の中心に強い剣を振り、相手を抑えるかに重点が移ってきている気がする。相手の剣に乗ることは、既に獲得済の要素で、現在の稽古の前提ということなのかもしれない。

先生の技は、こちらの剣を乗って落とすというより、こちらの中心に強い剣を入れてこちらの剣を弾き飛ばすように感じる。そして同時に、肩は抜かれて態勢を崩してしまう。それをゆっくりとした振りで行ってしまうのだ。当然ながら、力任せではなく。

別の言い方をすると、合気道の一付属分野として剣を扱うのではなく、一刀流の剣術としての稽古に近くなったという印象。

剣を引くという悪い癖がある。引くのではなく、落とすのだという。確か合気道で、水平に伸ばした相手の腕を手刀で落とす(崩す)という捌きがあった。あれも引いてはいけない。あの要領でやれば良いのだろうと頭では理解する。

相手の中心に剣を入れるには、向かい合った時点から相手の中心を(頭の中で)捉え、剣の軌跡をイメージしてその通りに剣を運ぶこと。

剣に身を入れるには、左半身の力を左手を通して切先に届かせることだと思うのだが、思い通りに出来ていないので、現時点では何とも言い難い。もっと単純なことなのかもしれないという気もする。「月影」という。剣に頭を入れるのだとも言われる。もう少し試行錯誤を重ねる。