50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 223 2024/02/10

うねり返しの変形? 面打ちに対する返し技。要諦は、相手の中心に身を入れること。且つ、なるべく小さな動きで。

結果オーライ的に上手く出来たこともあったけど、安心して良いものやら。厳しく打ち込まれたら、多分対応できていない。相手の中心に剣を入れ続けること、切先に身を入れることの2点のみを念頭に置いたつもりだが、果たしてそのようになっているのかどうか。

最近、指導の中身が変わってきたように感じる。唐突に指導内容が別物になったという訳ではなく、いづれも以前から言われていたことではあるのだが、その重心が少し移動したように感じるということ。今までは、相手の剣に乗り、相手(の肩)を抜くことをメインテーマにしてきたと思えるが、最近は如何に自分の剣に身を入れるか、そして相手の中心に強い剣を振り、相手を抑えるかに重点が移ってきている気がする。相手の剣に乗ることは、既に獲得済の要素で、現在の稽古の前提ということなのかもしれない。

先生の技は、こちらの剣を乗って落とすというより、こちらの中心に強い剣を入れてこちらの剣を弾き飛ばすように感じる。そして同時に、肩は抜かれて態勢を崩してしまう。それをゆっくりとした振りで行ってしまうのだ。当然ながら、力任せではなく。

別の言い方をすると、合気道の一付属分野として剣を扱うのではなく、一刀流の剣術としての稽古に近くなったという印象。

剣を引くという悪い癖がある。引くのではなく、落とすのだという。確か合気道で、水平に伸ばした相手の腕を手刀で落とす(崩す)という捌きがあった。あれも引いてはいけない。あの要領でやれば良いのだろうと頭では理解する。

相手の中心に剣を入れるには、向かい合った時点から相手の中心を(頭の中で)捉え、剣の軌跡をイメージしてその通りに剣を運ぶこと。

剣に身を入れるには、左半身の力を左手を通して切先に届かせることだと思うのだが、思い通りに出来ていないので、現時点では何とも言い難い。もっと単純なことなのかもしれないという気もする。「月影」という。剣に頭を入れるのだとも言われる。もう少し試行錯誤を重ねる。

稽古日記 222 2024/01/03

自主練習日。先週は膝痛にて欠席。

 なんて自己流なのかと改めて気づく。教えられたことを、その言葉通りに実行すれば良いだけの話なのに、自己流の解釈で歪める。而して同じ処を何時までも堂々巡り。

 ただ剣を真っすぐに振り下ろすのみ。だがそれは、「真っすぐに」と呪文を唱えつつ剣を振れば、真っすぐに振れるというものではない。頭で解った積りになってもそれでは足りない。自分では真っすぐ振っている積りでも、事実として真っすぐに振れているかは別の問題である。真っすぐ振れているのか鏡を見るなどして具体的にチェックすることが必要だし、その際、自分の身体がどう動いているのか、動くべきところを動かし、動かしてはいけないところを動かさずにいるか、どこかに無理な力が入っていないか、等々を自分の身体に聞かねばならない。

 静かに自分の身体に耳を傾けることを忘れていた。何をすべきか、何を避けねばならないか、その要諦は既に再三再四教授されている。その教えは、言葉にすれば数語或いは数行で言い表せることかもしれないが、その含意は奥深い。自分の現況で伺い得るのは入口間近の明るいところのみと弁えるべし。教えを歪めずに、教えられたことをその通りに実行しているかは、謙虚に自分の身体に問うしかない。

 それにしても足の弱っていることよ。

 

稽古日記 221 2024/01/20

剣術と居合。

●突きに対する切落し:剣の幅のみの動き。落として、こちらが突くまで1拍子。払いではない。

●身を入れる。中心を取る。この二つが一刀流の神髄なのではないか。他 はその応用編というのみか。

●立居合「乱花」:抜いた時に剣先が定まらない。正確には、抜いた際に剣の重さを支えきれずに剣先が落ちる。柄を握れ切れず、小指が浮いている。今までは勢いで誤魔化していたのか。稽古あるのみ乎。

稽古日記 220 2023/12/10

傷病治療のため2か月ほど稽古を休み、久しぶりに出席した。この2か月余、家に引き籠っていたので、今回はまずは会場に出向き、最後まで退席しないことが目標。その目標はクリアしたが、翌日たる今日、腕に軽い筋肉痛。通常腕に疲労など残らないので、余程腕に力を入れて、振っていたのだろうと思う。他も推して知るべし。

以下、忘備のためにメモのみ。

 

●素振りで下段に構えた相手の剣を落とす/切落し

中心に剣を振ることこそ一刀流の要諦とのこと。確かに大命題として、入門当初から中止に振れと指導され続けてきた。技術が上がるにつれ、漠たる目標から具体的な課題に形を変え、現在に至る。

角度を付けて斜めから当てれば、相手の剣は簡単に落ちる。だがそれは求めるものではないし、従って斜めの角度をいかに小さくしていくかというよう な問題でもない。ただ、相手との中心(関係)を、既存の状態から僅かに逸らす必要はあるに違いない。でなければ剣は正面衝突する。それは数ミリという程度かもしれないし、そもそもそういう発想では捉え得ぬ動きなのかもしれない。

剣に少し角度を付けても良いと言われた。但し、中心を通ることは変わらない絶対の要請。相手の剣は無視して、ただ相手の中心に剣を立て斬れと教えられるが、相手の切先は、その存在自体でこちらを攻めている訳で、つまり囚われる。その切先をどうしても避けたくなる。結果、回り込んだり、払ったりする。そこを如何に技術的に乗り越えるかが、昔からの解決できぬ課題。

素振りの場合、こちらが居ついてしまうという問題もある。

刃先は下に。寝かせてはならない。また力で振ると、滑って相手の剣を弾くことはできても乗れないことになる。

剣に身を入れることがヒントなのだろうが、具体的にどうすれば良いのか。多分、力を抜いて腰なり、踵なりを切先に通せば良いと思われるのだが、中々そこまで気が回らない。

 

●裏剣で、相手の小手打ちを返して小手を斬る

払うのではないだろう。払うのでは、如何に早く連続させたとしても、払うー小手を打つの2段階の動作になる。切落しは1拍子だから、剣を立てて相手の小手打ちを殺す動作がそのまま相手への小手打ちになっていなければならないはず。中心に剣を立てれば良いと言うが、力負けする。ここでも「剣に身を入れる」が必要のなってくるのか。

だが、そもそも裏剣と切落しを同列に扱ってよいものなのか。同じ範疇に属するとしても、違いはあるだろうと思う。

 

年齢のせいにはしたくないが、ちょっとしたことで腰痛や膝痛がぶり返す。拗らせやすく、拗らせるとなかなか治らない。昔は3日も休めば復帰できたものが、今は2週間掛かったりする。これ以上は愚痴になるが、あと10年、せめて5年早く稽古を始めていたらもっとうまくなれたのにと思う。今の状況で出来ることを続けるしかない。

稽古日記 219 2023/09/30

1時間ほどの稽古に出て、汗を流して、帰ってシャワーを浴び、さっぱりしてボォーとソファーに腰かけている。ほんわか気分がいい。以前もっと元気だった頃、週1回のこの稽古が1週間全体のリズムを作っていて、そのリズムに乗れた時機嫌が良かったことを思い出した。再び、そうなればと思う。

稽古日記 218 2023/01/14

本年初回の稽古なれど、体調不調。集中力無く30分ほどで早退する。

試したかったこと、様々目論んであれど叶わず。

剣の陰に入ること。

胸より、肩・腕・手首・手そして剣・剣先に至るまで緩みなく一体のものとすること。

腕の上は緩め、下にて剣を振ること。

半身の体捌きにて剣を振ること。

交点を動かさず、中心に入り、最後まで維持すること。

頭を動かさないこと。等々。

次週以降の課題。

稽古日記 217 2022/12/10

冴えない稽古。

こうしようとか、これを試みようなどと目論んだことがあったのだが、実際に、木刀を握り、生身の人間に相対して、木刀を打ち合うとなると悉く雲散霧消し、目の前の剣に惑わされて旧来の拙い対応を繰り返している。

身体が温まっていなかったことに起因するのかもしれないが、ならば尚のこと、地力の無さを思い知る。

初心に還るべきなれば、稽古は私かにすべしと知るべし。

裏の八相が良くない。構えが悪い。左足に重心が偏って軸が傾き、手首・肩・腰・膝、夫々に力が入ってちぐはぐ、フラフラ安定しない。半身の構えには違いないが、相手と正対していない。表の八相はそれなりに力が抜けて安定しているのだが。鏡で見てみると分自分でも判る。

膝が強張って力を抜けず、スムーズに動かせないという事情は確かにある。それでも、この1ト月でだいぶ柔らかくなってきた。表の八相も数か月前には酷い姿だったのだ。

とまれ木刀を振ることでしか前進しない。