50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 144 2013.05.11

ここに書く間隔が空いている。
稽古をさぼっている訳ではなく、逆にもう少しで次の段階に進めそうなのだが、その少しが長い。そしてその少しは、言葉にすると、字面はこれまで書いたことの繰り返しになる。
実態が充実すると、感想は間遠になることもあるのだ。

以下、多少マニアックながら、忘備録として。

中心を相手に取られた時の対応について
取り返そうと出かければ、相手とのぶつかり合いの争いになる。と言って、中心を取られたままでは勝負にならない。どうすれば良いかと問うたところ、「それ(中心)は相手が勝手に取ったものでしょ」という素気ない答え。なる程。ならば、こちらも勝手に取れば良いということか。相手の取った中心を無力化する事を考えるよりも、こちらはこちらで勝手に取ると決めた方が潔く、好みに合う。

技に重さを感じるという指摘について
以前から折に触れ指摘されていて、最近は自分でもハッキリ気付くようになったのだが、重い。自分についてだけではなく、相手の重さも然るべく感じるようになった。
重さの原因は分かっていて、もたれ掛かっているという事。寄り掛かっている、体重を掛けているでもいい。つまり、自分の体重を自分の体軸で100%支えていなくて、自分の体重のいくばくかを、手なり剣なりを介して相手にもたれ掛けているという事だと思う。
言い換えれば、軸が立っていないという事。

事態をややこしくしているのが、変な思い込み
私を含め一般に、体重を乗せる・腰を入れることは正しいと思い込んでいる(いた)。思い込んでいるとは、刷り込まれて、無意識の内にそう動くという事でもある。
まずは、体重を乗せる・腰を入れる動き方の実態の吟味が必要で、正しいと思ってするその動きの大方は、単に自分の体重を相手にもたせ掛けているだけだ。
更に、そもそも、体重を乗せる・腰を入れることは正しいのかという問題も生じる。
当派では、体重を乗せる・腰を入れることを非とするが、その吟味は横に置くとしても、少なくとも、軸を立てて、自分の体重は自分の体軸で支え切れなければ、次の段階へは進めない。

身を入れる
軸を立てると、対になった概念だと思う。理合に於いても、実践に於いても。
軸を立てた上で、という事は自分の身体を自分の体軸で支え切った上でという事でもあるが、三角形の力学的な関係で相手を捉えることだと思う。
実は、「体重を乗せる・腰を入れる」に対する当派の答えが、「身を入れる」ことかもしれない。

受けできまる
切込みは、多分受流しにしても、また切落しにしても、受けた時点の交点の角度が相手の中心を捉えていないと、技がかからない。特に左右に振れると成立不能となる。Mさんの指摘。盲点だったというか、そういう事かというか。なる程、きちんと相手の中心を捉えられれば、そして身を入れられれば、外さない。
遠回りをしたが、やっと会得できそうな気がする。
尚、型では、受けの段階を設けず、一拍子で、相手の剣を落とし、首筋を打つ。真行草で言えば、草のレベル故、緩むという別の要素が入ってくる。

肩を底辺とし、交点を頂点とした三角形
これは別のMさんの指摘。例えば、青眼に対する八相の切落しの場合、クサビ形をしたこのイメージで攻めることが肝要とのこと。
私の場合、八相で構えている時点でもう技は始まっていて、切先を相手の胸に直線的に打ち込むだけを考え、そのラインを探っている。
両者を統合すれば、より全体的なイメージが得られかもしれない。