50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 64 2010.08.14

稽古日記 210.08.14
 
●合氣道
基本のおさらいと四方投げ
 
●詰めると抜く。
いずれに於いても、気の持続が一つの鍵。
気が途切れた途端、技も切れる。
 
●剣術
基本の反復。
 
●素振り
剣が体に遅れるとは、異口同音に指摘されること。自分でも試行錯誤を繰り返せど、なかなか解決せず。
顔が動き、軸が揺れるとのこと、改めて指摘される。こういうことを一つづつ直してゆくしかないかと改めて思う。前途遼遠。
 
●「気剣体の一致」あるいは「捨て去ること」
「気剣体の一致」を教えられるが、さて、この場合の「気」とは具体的に何で、「気の一致」とは具体的にどういうことなのか、今ひとつイメージが焦点を結ばない。言葉で問うても「切るという気と剣を一致させる」という禅問答のような答えである。
 
もしかすると、動き始めるまでに、余計な準備が多過ぎるのかもしれない。あれをチェックすべき、それはこうすべきで、そうならないようここに留意して…云々。筋肉のタメとイコールではないかもしれぬが、動作のタメではある。
 
余計な準備とは、例えば軸は立っているか、肩に力は入っていないか、相手と正対しているか…等々自分の体勢をチェックすること、例えば相手の中心軸と自分のそれを合わせる(同調させる・気を通す)などなど。それは、必要な作業ではあるが、もしかすると敢えて事前にやるべきではないことかもしれない。
 
切落としの稽古の際、「余計なことをし過ぎる、考え過ぎる」と指摘された。習ったこと、身につけたことを捨てていくのも、また稽古の一つとのこと。
 
シンプルに打てば良いのだなどと締めると、綺麗にまとまるが、そんなシンプルな話である訳はなく、ここ何回かの稽古では、暑さもあり余り考えずにただ剣を振っては「うまくゆかぬ」とこぼしていたのだが、この稽古日記を読み返してみると、それなりに細々考えつつ試行錯誤して少しづつ進んできたのだと改めて思い至るものがある。シンプルというのも一つの芸。
 
●切落とし
八相対正眼
気を通したまま、相手の剣の真下に自分を投げ出す感覚。
 
相正眼
要は八相のそれと同じなのだろうと思えど、相手の剣はなかなか落ちてくれない。
先生曰く、切落とす剣の動きが1挙動ではなく、振りかぶって振り下ろすという2挙動となっているから、そこにスキが生じて、相手の剣が生きてしまう、相手に付け入るスキを与えず事前に制圧することが肝要とのこと。
 
●居合
受流し、月影、付け込みの3種を中心に。