50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 192 2017/03/18

今年になって、割と真面目に出席している。
と言っても、毎週欠かさず律儀に稽古しているという風にはいかず、月に1~2回は欠席するし、合気道にはほとんど顔を出していない。

言い訳だが、膝の具合が甚だ悪い。
急な階段になると、手すりに掴まって一段づつ上り下りするしかない。調子が本当に悪い時は、5分も歩くと膝が痛くなる。ゆっくりゆっくり歩いている。寒いのが特に良くない。

それでも不思議なもので、剣術の稽古では、膝や脚のトラブルを意識することなく1時間動き回っている。日常生活では、10分も立ち続けていると辛いのに。確かにきつめのサポーターを膝に付けてはいるが。

そして更に、稽古の翌日は死んだようになっているが、そこを過ぎると逆に体調が良いように感じられる。少しづつ体力が回復している気がする。

日誌風ではなく、忘備録風に。

切落しは、ゆっくりと大きく、ふわっと乗せるような心持で振るとうまくいく気がする。まだまだストライクゾーンは狭いのだが。

切込みも受流しも、つまり一旦受けて技を掛けるものは、交点で相手を捉え続けられるかが焦点となるようだ。
言葉で表せば、交点で相手を捉えている、或いは交点を以て相手の肩、胸、鎖骨の辺りを押さえているという風に言い表すしかない。だが、それは理屈(即ち言葉)ではなく、感覚なのだ。
相手を捉えている、或いは押さえているという感覚、それはとても儚いもので、しかと見極めようとすると却って霧消してしまう。視覚に例えると、視界の中央で鮮明に捉えるものではなく、むしろ視野の端を掠める気配を何気に捉えるもののようだ。

そして、交点で相手を捉えるには、良い位置で相手の剣を捉える(受ける)必要がある。多分、剣が接触した時には勝負が決しているのだ。