50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 204 2018/11/10

仕事だったり、用事があったりで、稽古に出たり、休んだり。
落ち着かない。
何か本の広告文で見たのだが、2週間で3回思い返せば忘れずに覚えていられるそうな。1週稽古に出て、次の週を休むと確実に忘れる。

動作を起こす前の状態があって、次いで動作が終わった状態になる。
つまり途中の動作の過程が無い。剣術で言えば、例えば構えている状態があって、次に来るのは振り終わった状態。振るという動作が無い。そうすべしと先生から指導される。抽象的にはなんとなく判る。個別の動作でも、そんな感じで動けるものがある気がするにはする。されど、ここからが長いんだな。

技にしても、技以前の身体の動きにしても、イメージで動いているというところがある。そもそも体の動かし方など、イメージでしか伝えられないし、捉えられないし、実際動けない。この筋肉をこう使って、次にそこは保留してこちらを少し使って…などと、仮にマニュアル風に箇条書きにできたとしても、それはただの書付で、忘備録以上のものではない。1+1の悟性的な世界ではなく、1で始まるとともに終わる世界なのだから。

…とは言え、イメージに寄り掛かるのではなく、身体的な裏付けを追求する必要もあるのではと最近思い始めている。
例えば素振りで剣を振り上げて構える。その時、構えの内実が問われる。多くの者が、単に剣を上段に振り上げて止めてるだけという形だけの構えで、下の下。いざ振る段になって、まず振るための助走を開始し、その助走の後にやっと剣を動かしている。それでは遅いし、見切られる。
その構えの状態があり、次の状態は振り終わった状態となるように、身体を整えよと指導された。そのような構えの状態を、初めて構えと呼べるのかもしれない。
「気を養い、胆を練り、身を整える」のだそうである。
頭や肩を動かさない。その為には、動かさないと念じるだけでなく、一つひとつ自分の身体の状況をチェックしていく作業の積み重ねが要る。

「胆を練る」で思い出した。腹に力を入れてはいけない。意識して力を抜き、柔らかく保つ。勝手な思い込みかも知れないが、今は大事なことだと思っている。
忘れると、すぐに腹が硬くなる。或いは、固くなっていること自体に気が付かない。

「気を養う」とは、穏やかな呼吸を維持することだろうか。穏やかさは、平明さにつながる。互いに剣を持って向かい合った時、平明な目で相手を見る。大事なことのように思える。これは、勝手にそう思い込んでいるだけの話である。