50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 10 2009.02.14

先週は仕事で稽古を休む。
膝が思わしくないので、正座を勘弁して貰う。

●納刀
スムーズに行えた時は、寧ろ疑うべき(学生時代のテストと同じか)、
気づかぬままどこかで楽をしている。
刀が寝たり、鞘を前にせり出したり、身体が傾いたり…している。

●受流し
今回は受流しをメインに稽古。

あと少しで分かりそうなのに、その少しが縮まらない。
ただ一旦分かってしまえば、後は掌中のものとして自在に使えそうな気もする。

剣と身体を一体のものにして、中心に入る。

こちらに言い分があるなら、フィフティフィフティで相手にも言い分がある。
こちらが中心に入りたいなら、相手も中心に入りたい。

受けて、剣を立てるところまでは見通せるのだが、そこから先が見えぬ。

剣を立てるということに、拘泥しているのかもしれない。

「多少腕を切られる位は覚悟の内」とは、先生の指摘。
それはつまり、安全確実に受流しなど出来る訳はなく、微細な優位をいかに活かすかが肝。
であるならば、剣を立てることも、目的ではなく途中経過に過ぎず、
ならばその次へ動作を進める度胸、或いはタイミングも同等に重要なのかもしれない。

とまれ、週に1度、1時間程度ではなかなか先へ進めないが、
人気の茂木さん流に言えば、この分かりそうで分からない状態が脳にとっては良いことらしいから、
せめてこのモヤモヤを楽しむことにする。やせ我慢だが。

ふっとうまく行く時があり、ニッチもサッチも行かずに固まることもある。
両者の違いは何なんだろう。