50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 29 2009.08.08

仕事の都合で体術を休み、剣術のみ。

●居合い 月影
敵は歩いて近づきながら真っ向から切り下ろす。
我方は、正座から、抜きざまに剣を立て、振り下ろされる小手を打つ。小手を打たれた敵は、態勢を崩して屈み込み、脇を目の前に晒すので、その脇腹を切る。打つのではなく、刺身を切るように引き切る。

剣を立てて小手を打つ動きは、切落としに通ずるものであるという。

通常より近い間合いで切るので、柄を自分の股の間に引き入れるような切り方になる。
切り終えた剣は地面より数cmの所で水平になる。この時、敵から目を外さないことが肝要とのこと。

●剣術 受流し(車切り)
同じ受流しという名称でも、何種類かの異なる動きがあるとのこと。
今日は、車切りと称されるもの。車輪の回転のように、縦回転で剣が回転して敵を切る。

大事なのは、順当に柔らかな動きとタイミングであるが、それだけではないらしい。

まず、気で相手に仕掛けること。
名の通り敵の打ちを受けて流す訳だが、敵の打ちを待って技が始まるのではない。
むしろ、こちらの都合の良いタイミングで敵に打たせるのだという。

例えば、敵を圧すべく気で押さえ込もうとする。敵も対抗して気を高める。打ち気を高めさせておいて、そこでふと外すと、敵はそこで打ち込んでくる。外すとは、気も外すし、剣も正眼から下段に外す。勿論、そことは、当方に都合の良いそこであることは言うまでもない。

前回の居合い「霞」でも思ったのだが、そういう物語性というか想像力・イメージ力が求められるというのは面白い。又それは、俯瞰的に自分の所作を観察する一助ともなる。
実際には、そのもっと手前で、柔らかく手首を動かす事に悪戦苦闘している状態ではあるが。

「太刀にかはる身といふ事」、五輪書にそういう記述がある。
正確に訳せないし、解説も出来ないが、敵を打つに際し、心・身・太刀の3者があって、この3者を夫々個別に働かせる必要がある。一緒くたにしてはいけない。という文脈の中での話。「通常、身は先に打つ態勢になって敵に対するが、太刀は身にはシンクロせず、遅れて、身の如何とは関わりなく打ち出される」という程の意味だと思う。

稽古が終わって、ぼんやりと内容を振り返っている時に、この記述を思い出した。
最初は気で、次いで身(の捌き)で敵に対するのかと。最後に太刀。
なる程、特に互いに抜き打ちでこの技を掛ける場合など、まず身で打つというイメージが有用かもしれない。

☆「総じて、敵を打つに、太刀も身も、一度にはうたざるもの也。敵の打つ縁により、身をばさきへうつ身になり、太刀は身にかまはず打つ所也」

来週はお盆で稽古は休み。