50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 33 2009.09.12

●体術
接点感覚をテーマに。

「合氣」という言葉は各流各人幾多の定義があるし、当派に於いてさへ様々の局面でその局面に即した様々の説明がある。
で、今回の「接点」という角度から触れれば、「合氣の技とは、相手の力を、逆に相手を制する力に変換して利用する技であるとすれば、合氣とは、互いの力が噛み合い、而して相手の力を変換しうる状態を言う。合氣の技が成立する為に必要なことは、互いの肉体が接触し、そこを通して彼我の力が作用する場所、即ち接点に於いて合氣が成立することであり、接点に於ける合氣が維持されることである。これを単に、接点が成立する、接点を維持すると呼ぶ。例えば、摑まれた手首に接点を成立・維持させれば、我は手首を介して作用する相手の力の客体から、立場を逆転させて、接点(手首)を介して相手を支配する主体となる。」

以上は、稽古の中の先生の話を時間がたった今、思い出しつつまとめたものであるから、正確でも厳密でもないが、忘備として。勿論、接点のみで合氣の技が成立する訳ではない。

問題は、接点感覚という位なのに、接点が成立している、維持されているという感触を感じ取れないこと。だから、なんとなく技が掛かったりはあっても、会得できたというレベルからは程遠い。

自由練習では、手解き。主なテーマは、腕の力を抜いて下半身で動かすという課題。まだまだ、道遠し。

●剣術
接点の維持をテーマに。

体術と同じテーマなれど、稽古時間を反映してか、剣での感覚に一日の長あり。
相手の剣と我のと噛み合っているという感覚を得ることがある(全回という訳ではないが)。
押したり、引いたり、捻ったりすると容易に接点は滑って外れるが、実際、簡単に滑って外れる。

「切込み」、このテーマに沿って。
なかなか。途中まで似た動きの「受流し」はなんとかクリアできるのだが。
受流しのキーワードは我慢。気を通しつつ、剣を中心から外さぬよう、剣から頭や身体が覗かぬよう、押したり引いたり捻ったりせぬよう、我慢しながら剣を立てていく。

切込みも同じことをすれば良いはずなれど、うまく行かない。引いていると、何人もから指摘される。ところが引いているという自覚が当人にない。自覚なければ是正のしようがない。更に、気を通すまでは意識できても、三角を意識するところまでは気が回らない。
稽古の最終盤、落とすつもりの動作が、即ち接点を滑らせ、引くという動作となっているとの指摘を受け納得。受ける位置が高いのかもしれない。これが足掛かりかもと思った所で本日の稽古時間了。次回まで覚えていられるか。

●居合い
介錯」。またこの抜刀法を基に、左半身を使う稽古。
なかなか。具体的にどこが悪いと指摘を受けなかったが、それは、それ以前の段階という意味だろう。

数分間正座していられた。進歩。

稽古前に前屈のストレッチを行い、腰やふくらはぎを伸ばしてから稽古に臨むのだが、体術後、また剣術後前屈してみると、稽古前と同じ程度にしか曲がらない。運動したというのにどういうことか。多分変に力の入った体の使い方をしているのだろう。そう言えば、稽古中腰が痛くなった。これは腹を突き出した姿勢を取っている証拠。軸を立てようと意識すると、そういう姿勢になってしまう。

来週、再来週と仕事。稽古に出席できず。