50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 27 縁のあたりといふ事

一 縁のあたりといふ事

●原文 我打出す時、敵打ちとめん、はりのけんとする時、我打一つにして、あたまをも打ち、足をもうつ。太刀の道一つをもって、いづれなりとも打つ所、是縁の打也。此打、能々打ちならひ、何時も出会ふ打也。細々打ちあひて分別あるべき事也。

★兵法三十五箇条「縁のあたりと云は、敵太刀切懸るあひ近き時は、我太刀にて張る事も在り、受る事も在り、あたる事も在り。受るもはるもあたるも、敵を打つ太刀の縁とおもふべし。乗るもはづすもつぐも、皆うたんためなれば、我身も心も太刀も、常に打たる心也。能々吟味すべし」

○私訳 互いに太刀の届くごく近い間合いでの話である。我から太刀を飛ばすこともあれば、また敵太刀を受け止めようとしたり、払いのけようとして太刀を出すこともある。いずれの場合でも、振り出した自分の太刀を受けや払いやに留めてはならない。大事な事は、その一太刀を敵を打つことに繋げること。即ち、続けて、ある場合には敵の頭を打ち、ある場合には足を打つのである。太刀の道一つを以って敵のどのよう場所をも打つ、これが縁の打ちである。
この打ちは良く修練を積めば色々なな場面で使えるものであるから、委細の習得を心掛けるべきである。

岩波文庫のテキストのみで読んでいる訳だが、この段はよく分からない。
原文だけを訳せば私訳のようにはならず、全く別の解釈になると思う。兵法三十五条と併せると上記のようになるが、何やら強引な意訳で、何より正しい訳か心もとない。

多分だが、「縁のあたり」とは「太刀の道」を別角度から述べた記述に思える。