50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 36 2009.10.24

2週間ぶりの稽古。少人数でゆっくりと丁寧に。

●居合い 立技「乱花」

剣を横に抜いて、左隣の敵の脇を刺し、次いで身体を1/4回転させて、水平に腰を切る。
右手は殺して左腰で剣を抜く、鞘を落とす、剣を身体から離さない。
血振り、納刀と、座り技のそれとは異なる。

壁の前に立って、抜刀の稽古をする。柄頭が壁に付く位、30cmもないかという距離で刀を抜く。
ゆっくりと、滑らかにを心掛けれども、それ以前の段階。左腰を使おうとして、多分左肩を捻っているだろうと思う。

●剣術 「接点に入る」をメインテーマに

1.剣を縦と横に交差させて、その接点に入る
 これまで何度試みても出来る気がしなかった稽古。
 そもそも何を目指すのか、何が、どうなればOKとなるのか。提示されるのは「交点(接点)に入る、中心に入る、気を通す」というイメージだけ。先生の模範演技を見ても、受けても、それを理解するモノサシ自体が覚束ない。況や自分の動作のどこが問題なのかなど霧中の話。まず手掛かりを探す所から始めることの繰り返し。

 合氣とは接点を介して相手と繋がる状態と言えるそうだが、押すでもなく引くでもなく、強からず弱からず、ある強さ(?)の範囲で、相手とこちらの剣が噛み合う状態が生まれ得る。互いの剣が交差する位置とか、角度とかも関係があるらしい。
 今日初めて、この稽古は、その感覚を得るための稽古と理解した。
 ただ、前提となる身体使いが未熟なため、不要な要素が混入して余計に分かり難くなっているという事もある。

 1回、「あっ、掛かったかな」と思えたことがあった。噛み合う微妙な範囲を意識した時だった。稽古の相手も「今のは良いんじゃない」。されど相手を代えたら、全く再現しなかった。

 「切り結ぶ」という言葉、暗示的とのこと。
 現在では、時代小説でお目にかかる位で、日常用語としては死語に近いかもしれないが、切るという行動の最中に、どうして結ぶという真逆な状況が生まれるのか、なるほど考えてみると面白い。先生の説明では、接点を通して相手と繋がる状態が正に切り結ぶ状態で、相手と結ばれるが故に崩すなどの技を掛けられるとのこと。なるほど。

2.受流し 一旦受けて、いなすように相手の首へ剣を返す、地味な方
 接点に直線で入り、更に相手の胸に入る。これは何となく分かる。直線で入るという所が要諦。技を受けていて、こちらの剣を怖がって、すり抜けようとしたり、回り込もうとしたりすると、確かに分かる。
 接点を崩してはいけない。大事をとろうとすると返ってってぶれることがある。前の稽古に通じるが、接点の感覚が覚束ないから、粗くなったり、維持できなくなったりする。
 相手がこちらを切りに来ている分、技は掛けやすいかもしれない。

3.受流し 体を外す、派手な方
 接点を作り、それを落とすのだそうだ、意識の上で。実際の動きは異なる。
 確かに、そのイメージで身体を捌くと良いような気がする。ギリギリまで我慢して、イメージの中では一旦受けるように動き始めつつ、身体を左または右に捌く。

4.切落とし
 タイミングが遅れているそうだ。受けるという気持ちがあるからだろうか。相打ちのタイミングだと言われるが。接点の感覚を得ようと試みるが、なかなかそこまで行かない。

●体術 ここでも接点の維持を中心に。
 私の当面のテーマは、やはり接点の感覚。成立している、維持しているという感覚を得るだけでなく、(動作の最中)その感覚を維持できるようにすること、維持しつつ動く事、最終的にはフィードバックの回路を成立させること。
 まずは、そのずっと手前なれど腕や肩の力を抜いて技を掛けられるようにすること。

 正面打ちに対する応手。切落としを想起せよとのこと。なるほど、分かった気になる。受けて成立した接点を維持して動かさぬよう留意しつつ、技を掛ける。