50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 41 2009.12.05

稽古日記 2009.12.05

先週休んだせいか、寒いからか、あまり冴えない。
これまでやった事があるはずの事を、改めて一からやり直す感じ。
もどかしくも、また情けなく腹立たしくも。

●素振り
一文字腰の素振り。中上段の構えの位置は、もう少し上とのこと。耳の横ではなく、上辺りか。
右半身の撞木足での上段の構え。剣が傾いているとのこと。半身が強すぎるかもとの指摘。
また、撞木足の足使い。まずは後方の足を前に揃えて良いらしい。

身体に剣が遅れるとの指摘。異口同音に再々。
剣体の一致は、交点の維持や而して相手の軸を崩す際にも必要なれば、困った。

腕で剣を振ってはならないという意識がある。
胸が緩み、腰、膝と緩む、その緩みで振るべしという意識がある。
遅れる原因は、多分、胸の緩みでうまく振れていないのだろう。
緩める(つもりの)動作と、別個に剣を振る動作が並行しているのだと思う。

また、縦の三角を意識して、その頂点-which is 相手の胸に位置する-で相手を切り下ろしつつ、同時にその頂点に自分の剣を振り下ろす感覚と言う人もいる。良いかもしれない。
いづれにしても、もっと力を抜いてゆっくり振る稽古が必要。

●切り結ぶ
剣を十字に交差せて、軸を崩す稽古。
剣と剣を結ぶ、糸で括りつける。
だけでなく、更に、そこを通して、相手の中心(胸)を捉える。気を通す。
そうして、緩めば軸は崩れるし、当然剣も落ちる。

先生の模範演技を受けて、胸に圧力を感ずる。これかと思う。
そう言えば、これまでも同様の圧力を感じていたなと思い至る。
見えていて見えない、感じていて感じないということはあるもの。
この感覚を感じられたことは今日の収穫。

稽古が終わって、暫くボォーと反芻していたら、そう言えば何回か前に、同じ稽古をして、そこでは噛み合う感覚について説明を受けたことを思い出した。
噛み合うとは技術の問題で、噛み合うべき角度や力の具合があるのだという話だった。
そしてその時、少し理解した気になって、実践でも少し噛み合ってると思えたことがあったと思い出した。

そうしてまた、ここでも顔を出すのが剣体の一致。
でないと、すぐに交点が崩れる。

●切り込み、受流し
大事なのは、まず受け。
強くはじき返すように受けるのは不可。
相手の剣を止めるというより、最善の交点を求めるという動作とのこと。
そう言えば、この説明も何回も受けていることを思い出す。

交点に入る、交点から中心を捉える、三角を意識する等々、様々にキーワードはあれど、今日、交点で中心を攻めるという新顔が登場。同様の趣旨の指摘は今までもあれど、交点で攻めるのか、それは心持の問題?

軸を捉える、中心を捉える。
ただ意識するだけでは足りないようで、剣がそっぽを向いていたらいくら意識を集中したって捉えられる訳がないという。
その捉えている、或は捉えられているという感覚がまだよく摑めない。確かに知覚できるはずなのだが。剣術の方が体術より幾許かはマシなのだけれど。