50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 50 2010.02.27

稽古日記 2010.02.27

今回の収穫は体術にて。
どれ程、足腰と途切れたまま腕力に頼っているか、改めて知らされる。

互いに半身に構えて手刀(?)を交差させる。
その手刀(?)で相手を崩して、入り身(?)する。
慣れれば、半身を入れ替えつつ連続して行う。

最初の手刀(?)で崩す動きは、これ自体は初めてなれど、今までお馴染みの動き方ではある。
当然、手や腕で押すのは論外となる。

後ろ足の踵から力を生み出すイメージで動く、と言うか動こうとする。
が、それがスムーズに腰(丹田)から腕へと繋がらない。
途中で途切れて、結果、腕の力で再スタートとなる。

踵で蹴るのではなく、踏みしめるとも違うように思う。
何回かに1回、小さな動きから力が生まれる感覚が得られる事もある。
ただ、自分でも半信半疑で、気のせいかもしれないと斜に見ているところがあるが。

電車に乗っていて、力を抜いてゆったりと立っている時、踵の上に腰が載っていて、床に軸が刺さっているかのように安定していると感じられることがある。
その感覚が大事なのだと思うのだが、中々再現されない。

●切込み
互いの剣が噛み合っている感覚を得たいと思う。
更に言えば、そこから相手の軸を捉えている感覚を得ることが目標。

例えば体術では、私のレベルでも、手の甲で相手との接点の感覚、相手の軸を捉えている感覚、相手と繋がっている感覚を具体的に得ることができる(ことがある)
それは観念的なイメージではなくて、具体的な知覚なのだ。

剣に於いても同様の知覚を得たいと思えども、少なくとも今日は、敗退。

交点を維持する、動かさないと言う課題も、それが得られれば自ずと道が開ける気がするのだが。

●小手打ち
手首で打ってるとの指摘を受けた。そうかもしれない。
膝や腰の緩みを意識してはいるのだが。

相手の打ちを読めると、と言うか打ち(の初動)が見えると、
身体を剣に入れて受けることができる(正確には、出来るケースもある)

それは本当にきれいに決まって、受けるとはこういうことなのかと思ったりする。
受けるというより、攻めるというか、押さえ込むというか。
これはこれで気持ちの良いものだ。