50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 56 2010.4.17

3時半より8時半まで。
 
●合氣道
「体を入れる」を私な課題として臨んだのだが、そこに至る以前の段階で渋滞。
課題としては、今後に持ち越し。
 
●剣術
 「一文字腰の素振り」
相手の剣に当たるようになってきた。先週まで、まるで当たる気がしなかったのだが。
OFFからONにスイッチを入れるのではなく、ONを保ったまま待機していてふっとクラッチをつなぐ。
胸や腰の緩みというのは未だしだが、それ故かまだ軸がぶれているとの事。まだまだ、当たって当然とまではいかない。
 
避ける方も進歩あり。来るのが見える(…場合もある)ようになった。
例えば、「肩が動くから初動が分かった」という言い方をする。だが、これは、間違いではないとしても、正確ではないと思う。肩が動いたのを見て、来るのが分かったのではない。ましてや、肩の動きを確認してから、退避行動をとるのではない。
「来る」という気というか気配というかが、まずあって、それを察知する。これが第一。そして、それを察知した上で初めて、肩の微細な動きを捉えて退避行動をとるという順番になる。
つまり、気を感じた時点でこちらはもう動き始めていて…身体は動かずとも、ONの状態で待ち受けていて…、肩の兆候を認めることは最後の一押し、行動のキッカケに過ぎない。だから、事後に「そう言えば動いたのは肩だったかな」と言えるという言い方のほうがリアルであると思う。
 
本当に分かる時は、相手が今から行きますと丁寧に挨拶してから、出かけて来るように見えるのだから、不思議だ。まるで幽体離脱のように(実際に目にした事はないが)、淡い影が滲み出して動き出し、次いで実際の身体が動き始める。はっきりと視覚的にそう見えるのである。
これを、観と見と言ってしまうと身も蓋もない。
そう言えば、以前、「蓄勁・暗勁・霊勁」という言葉を教わった。色を視覚的に感覚できるのは不思議な快感だ。
 
「切り落とし」
タイミングを合わせて、振り負けぬよう剣を振っているだけかもしれない。
交点に体を入れることができれば、落とせるのだろうと思う。ここでも下半身の使い方が、具体的な課題としてでてくる。
 
●居合
おさらい。横雲、八つ波、火竜、介錯、霞、受流し。
 
やるほどに粗が自覚される。
一つひとつの動作を丁寧に行うことが肝要。軸が定まっていないのだろうなと思う。