50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 71 2010.12.11

先週、先々週と風邪にて休む。咳がしつこい。  
 
合気道  「繋がる」を中心に。  
「繋がる」-例えば相手に手首を摑まれた時、その摑まれた手首を介して、正確にはその接触点を介して、相手とある種の(力学的な)関係を生じさせることができる。その関係が成立して初めて、相手に「合氣」の技を掛けることができる。
その関係が成立した、成立していないは、繋がった、繋がっていないという感覚で判断できる。それは感覚だから、条件や状況を変えて、どういう時に繋がったか、繋がらなかったか、繋がったが切れたかを身体で覚えこむしかない。
むしろ自分(の身体)との対話といった趣さえある、地味な作業であると思う。
 
詰めると引く。自分の腰から相手の肩へ、詰める以外にも、そのライン上で引けばそれだけで崩しになる。意外に簡単。
また、胸倉を摑んだ手に対して、素早く連続して行えば二教になるとの由。こちらは未だし。
 
一教。これが基本かなという気がする。そういう目で見直すと、私のは形だけ。
足が伴わないし、気を通す、繋がりを維持する等々も切れ切れ。ここから繰り返しやるべきかなと思う。
 
何と言うか、体術の稽古に当たって、身体の捌きに関する部分と、技そのものに関わる部分と勝手に二分して整理し、且つ前者重視で取り組んできたのだけれど、そろそろ技の習得そのものに注意を払っても良いかなと思えてきた。  
 
●剣術
基本技の稽古。
柄取り。自分にはまだ先の課題だと思い込んでる節があるけど、そろそろアタックする時期かなとも思う。
切込みも受流しも、相手の中心に切り込む気持ちでやれば良い。
 
●居合い
細かなクセを直される。例えば、鞘を出したままにするとか、身体がくの字に曲がるとか、(胸を緩めず)胸を張るとか…。血振りから納刀に至る際に、剣先を開かない。
 
胸突きに対する応手2種。短刀で突かれたものと想定して、左手の受けを甘くせず身体を入れる。この左手の応手で相手を止める。そのまま小手返しへ。
胸倉を摑まれた時の応手2種。ちょっと見、二教と似ているが非なるもの。二教が相手を崩すことを主眼にするのに対して、大東流のこれは、手首を砕く技との事。