50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 115 2012.04.21

居合いの自主稽古が終わってから、その日の復習というか反省会というかをやるのだけれど、これがなかなか中身が濃くて、収穫が多い。

合気道 2教
●2教では、例えば相手の手の甲を押えて接点を作り、そこから相手の肩や胸と繋がるのだが、この例で言えば、その手の甲の方向と角度が重要。正確に相手の胸を狙わないといけないとのこと。少し高い位置からの方がやり易いらしい。

接点から相手の胸を捉える訳だが、更にレベルを上げると、接点は中継点であって、自分の背中(上の丹田?)で、相手の胸を捉える必要がある由。なる程、確かに。納得。繋がりを切らないためにも、この手の位置を維持しなければならない(下げてはいけない)。

添えた別の手で、相手を切る。この時、一度入れてから、引くように切る。いきなり切り下げても、切れるものではない。

この切るというのが一筋縄ではいかない。うまく行く時は何でもなくうまく行く。一旦こじれると何をやってもダメ。
最近はこんなイメージを考ええいるが、まだ実験途上。例えば人差し指で切るとすると、指先から真っ直ぐ刃が伸びている。スターウォーズのライトフォースだっけ?あの光のサーベル。そのサーベルをイメージし、切先をイメージし、その切先で切ることをイメージする。多分イメージするだけで良いはず。手のほうは勝手に動いてくれると思う。

剣術
力を持続することが大事。
例えば等速運動。例えば切り手の維持。

切落としで言えば、勢いで打ったり、手首を伸ばしてしまったりすると、剣同士がぶつかった時点でエネルギーが尽き、そこで運動は終了してしまう。だが、剣が当たってから如何に相手の剣にのるかが問題なのだから、当たった以降が問題なのだ。

そう言えば、打つと切るは異なると誰かが言ってた気がする。

中心を捉えることが大事。
剣豪小説などを読んでいると、裂帛の気合なんて表現がでてくる。
当派では、気合を発する(掛け声を掛ける)ことはないから、無言のまま打ち合いが進行する。更に気の起こりやタメを無くすべくコントロールする。で、裂帛の気合なんて他人事と感じていたのだけど、そうではないらしい。

相手の中心に直線的に入っていく
先生に稽古をつけて貰って、感じるのはその意思-相手の中心に直線的に入って行こうとする意思の強さ。
実際に声を出す訳ではないけれど、その「気」で制圧しないと、掛かる技も掛からないのかなと思う。

互いに向き合って、剣を水平垂直に十字に交差させて、相手の中心に入っていくという基本の稽古が有るのだけど、先生とやると、交差させて剣が触れ合った瞬間に中心を制圧されて、身動きできない気になる。
そこで「入れない」と躊躇っていたら、「それでも入っていくのだ」と指導された。
成る程。闘争なのだから、安直に尻尾を巻いてはいけないのだ。

そのためにも、基本の動作の精度を上げる必要がある。
合谷を合わせる、剣に身を入れる、身幅で動く、緩みで動く…etc