50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 114 2012.04.21

今日は8時半過ぎまで。合気道、剣術、居合い他。

今週はお腹にくる風邪で、1週間をボォーッと過ごす。で、稽古日記も書きそびれたまま、1週間了。先週の稽古では、大きな収穫があったのに。而して、今週改めて。

居付くの反対は、浮身になること

どうしても居付いてしまうクセがある。
タメが入る、1・2の動きになる、初動が消せない、頭が動く、軸がぶれる…etc
一瞬にして初心者に戻ってしまう。落ち込むのはこういう時だ。
基本的なことだけに一進一退、中々克服できない。

浮身になれば良いというのは、一筋の光明。
それとて出来る訳ではないが、手が届きそうな気がする。
日本橋から鎌倉まで歩けと言われれば躊躇うが、目黒、品川辺りなら行けそうな気になる。

浮身という言葉は、以前、居合いの際聞いた。
正座で待機している状態から、まず浮身となって技に入る準備を整える。技(型)の最初のステップ(動作)なのだと思う。先生の演技を見ていると、5cmも10cmも身体が浮き上がるように見える。
そして、(多分浮身からの)緩みで動く。

では具体的に、浮身とはどういうもので、どうすれば良いのかとなると、実はよく分からない。分かっているのは、居合いの際の身体の浮くイメージ、そして身体の力を抜くのだということ+@位。手掛かりだけか。

身体の力を抜くことに関して、少々。
電車に乗っている時、つり革などに掴まらないで立っている。地下鉄だから出来るのかもしれないが、余り揺れないから。
コツは身体の力を出来る限り抜くこと。自分では抜いてるつもりでも、自覚以上に力を籠めていると思う。足を踏ん張ってもいけない。膝を緩め、足の力も抜く。

こう書くと、いざという時に力を集中出来るように、平時には力を抜いておくのだろうと考えるかもしれないが、それは違う。ガタッととかグラッと揺れたら、踏ん張るのではなくより一層力を抜くのだ。
踏ん張ると、踏ん張っただけの力しか出ない気がする。踏ん張った足の力以上のものは出ないのではないか。
軸を立てて、ひたすら力を抜くことだけ意識すると、外力がどこかに吸収されてしまうというか、よろけずに立っていられる。
勿論押されたなんて場合は話が別で、急いでつり革を手繰らねばならないのは当然のこと。

もしかしたら、上に書いたことは浮身とは別の話かもしれない。
意気込んで書き始めた割には、冷めてきて、そんな気がしてきたのだが、とは言え、踏ん張るべき時にも踏ん張らないというのは居付かないことに通じる気がする。

浮身を意識して半身を入れ替える稽古をした。
まだドタバタしているが、地味に繰り返すうちに、次の手掛かりが見つかるだろうと思っている。

今日の稽古
今日は今日で色々収穫があったのだが、稽古を終えてこの時間になると、健康的に疲れて眠くなる。目がショボショボしてきた。回を改めて。

… … … … … … …
(追記)
居付くと地面を蹴る

大切なことを書き落としていた。
居付くと地面を蹴ることになるそうだ。
この1項が抜けると、なんで浮身が電車で立ってる話に繋がるかが分からなくなる。

地面を蹴らない→そう言えば、電車で立ってる時、力を抜いて踏ん張らない方が良いな、踏ん張らない≒地面を蹴らない? 力を抜く≒浮身?…という単純な連想。

ただ、力を抜くことは必要条件ではあっても充分条件ではないから、それだけでは足りない気がする。
浮くという意識。具体的には、どのような按配になるのだろう。