50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 160 2014.04.12

合気道と剣術

3月に入って落ち着いて稽古に通えるようになった。
毎回毎回の稽古毎にこれをつけている訳ではないが、停滞している訳ではなく、逆に自分では稽古ごとに上達している気になっている。実世界で物事が着実に進んでいる時は、ものを書こうという気にならないものだ。

先週に続いて「切落し」。
中心を取る、或いは譲らない。身を入れる。要は、そのことに尽きるのだが、その要旨に一つひとつ肉付けして行くのは別の作業である。

例えば身を入れる。身を入れるとは、具体的にどういう動きなのか。どの筋肉をどんな加減で動かすのか。今日は足裏を特に意識してみたのだが、成果は表れていない。意識が未だ足りないのか、そもそも足裏だけでは足りないのか。足裏に気を取られて、別の何かが疎かになったということも考えられる。一般論はともかく、私の場合には具体的に何が良くないのか…等々。
遅々とした速度ではあるが、遅々としすぎているきらいはあるが。

今日の収穫。
何週か前にも気付いたことではあるが、パワーの8割は相手の中心に入ることに費やされるべきと思う。
天と地(足裏)と相手の中心と、この三角形で捉えられないと落とすのは難しいとの由。その為には、受け、就中受けの姿勢が大事で、受けで負けると、相手を捉える余裕を失うべし。
以前に比べれば、剣を振る際の腕の力が抜けてきた。未だ、下半身で剣を振るというレベルには至っていないが。
(相手の)剣を振ろうとする心気を捉えるとは、オカルトではないのだから、動こうとする相手の筋肉の動きを察することだという。着物の上から、相手の裸の筋肉を見、その動きの予兆、例えば緊張などを捉えることだという。だから、それはデータの蓄積に依拠する技術に他ならないとも。

余談。
先週、居合を一生懸命やり過ぎたからか、この1週間膝の按配が悪く、階段の下りがしんどかった。今日に至るも蹲踞が儘ならず、ふらつく。
何を言いたいかというと、どこまで無理をすべきか、加減が今に至るもよく分からない。
無理をして膝を壊してはとの思いがあり、無理は避けてきた。確かに壊れもせず、稽古を続けられているが、他方で筋力はつかず、寧ろ衰えたとすら思え、5年を経ても尚、蹲踞、正座が儘ならず、軸もふらつく。お相撲さんは、一度わざと股の腱を切ると聞く。無論それに堪えられる程若くない。
試しに少し無理のレベルを上げてみようと思い、先週やってみたのだけれど、不調は1週間続いた訳で、まぁこれも、手探りで加減を体得するしかない。