50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 199 2017/09/30

膝の具合が芳しくない。遅刻して、短時間稽古に参加。
膝周りと脚の筋力がいやになるほど落ちている。
そのせいもあるのか、2時間半、集中が続かない。
体術(合気道)に面白さを感じ始めているのだが、残念だ。

剣術。
打つという気が露わで、露骨過ぎるとの指摘。
剣を振る前から、察せられてしまう。
「気・剣・体の一致」とは入門の始めから言われてきたことだが、一致どころか、粗過ぎるとのこと。せめて密を目指せと。

改めて、「蚊を叩く」イメージを思い起こす。
これは「気・剣・体の一致」についての我流のイメージ。
●翔んでいる蚊を、拍手をするようにパチンと掌で叩いて潰す。
蚊は、蠅と違ってフラフラとゆっくり翔んでいるが、それでも正確に捕捉(ロックオン)しようと目でじっと追っていると、突然進路を変えられて見失ってしまう。これはままあること。
●蚊を叩くには、じっと目で追ってはいけない。補足(ロックオン)を望んではいけない。そこの居ると目の端で捉えたその時に、すかさず手を出さなければならない。100%の補足(ロックオン)は望むべくもなく、その辺りとしか捉えられずとも、間髪を入れずに手を出すしかない。これが気・剣の一致。
●もう一つ含意があって、それは気・体ないし剣・体の一致に関連する。蚊を潰すのに、音が出る程強く掌を打ち合わせる必要はない。親指と人差し指を静かに合わせる位の力と動きで充分なのに、哀しい哉、つい力任せに掌を叩いてしまう。遅いし、ぶれる。必要な力を、必要な場面で使うにしかずと言うのは簡単だが、では、いつ、どれ程が必要なのかと具体的に問うと答えは簡単ではないし、その通り体が動くかは別の話だ。体を練るとは多分そういうこと。

さて、頭で判っていて、イメージも出来ていても、ついつい相手を捉えよう、ロックオンしようとしてしまうのだな。安全策への逃避。武術は勝負事であり、つまり博打である。どこかで「命がけの跳躍」をしなければならない。そう思っておいた方が良い。