50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 200 2017/12/02

用事や仕事や膝・腰の不調等々が巡りあわせ悪く連続して、丸二月ほど欠席。
ようやく落ち着いて参加できるようになった。出てみると、やはり一心に身体を動かすことは樂しい。ただ、驚くほど、病的と疑うはど、筋力が落ちている。

相手の正眼を上段から切落す(?)稽古。記憶では初めて。
乗るというより、剣の厚みで弾き飛ばすという感覚。「切落し突き」などは、むしろこちらに近いのかしらと思う。
また、「擦り上げ」の軌跡は、方向は真逆なれどこれと同じなりと謂う。
いずれにしても中心を捉えないと成立しない技。

擦り上げにしても、この切落(?)―固有名詞が覚えられない―にしても、払いにしても、また「燕返し」にしても、それらは如何にも剣の技で、また剣術ならではの技術や工夫があって面白いのだけれど、実はそれら個々の技は枝葉に過ぎぬと思う。
だから、剣技の習得にのみ関心を向けると、一番大切な核心に目がいかず、枝葉に捉われてしまう虞がある。
一番大事な核心は、中心を捉え、以てこちらの勝を得ることだと思う。或いは、中心を捉えられた相手の、負けを生起させるというか。個々の技の習得は、その現実的裏付けというか、中心を捉えた勝(或いは捉えられた相手の負け)を現実のものに固定する技術という役目なのだろう。
同じことの別の謂いだが、技の確かな習得が中心を捉える技術ともなる。だが、あくまで幹は中心の制圧であり、枝が技。技の実行のために中心を取るのではない。
改めてそう思う。