50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記(続き) 2008.11.27

(先週の稽古日記の続き)

三角・中央に剣を立てる

これは進歩あり。前々回の稽古だったか、少しキッカケがつかめたかもしれないと感じたが、(休みの間に減衰せず)そこからそのまま先へ進めた気がする。

今まではどういう状態が技の掛かった状態で、どうならば掛かっていないのか、それすら自身で感得できなかった。何と言うか、「今のは良い」と言われても、「そう言われればうまく行った気がしないでもない」という感覚だったのが、掛かった掛かっていない、良い良くないを、少しは自分で感じ取れるようになった気がする。
これが進歩。

胸の力を抜くことに気を配る。力を抜くという言い方は漠然とし過ぎている。
もっと絞り込んで、胸の力を抜くことに集中する。
多分、相手の剣を受ける時点で、腕や肩に力が入らずに、腹の力で受けられればもっと良いのだと思う。

剣を立てる。切っ先を真っ直ぐ天に向ける。
これが傾くと、力が抜ける。

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八相からの切り落とし

これは今回まるでダメ。何度試みても、相手の剣をたたきに行ってしまう。

「気を乗せ、体を乗せ、剣を乗せる」
この内1つを乗せた程度ではダメで、この3つを揃えて乗せないと、相手の剣を切り落とせないと指摘された。
「気剣体の一致」の別の謂いなれど、よく考えてみると、なかなか含蓄の深い言葉である。

例えばそれはこういうことである。
今回の稽古、1週間の疲労が溜まっていたのか、決して流している訳ではないが、気合というかテンションは並程度だったように思え、また体の動きも鈍かったかもしれない。
だから、相手の剣をたたきに行ってしまうというのは、気を乗せられないことの結果に思える。
気を張っていないと、自覚の有無に関わらず、相手の剣が怖くなってしまうのだ。

先の言葉、3つの内1つではダメで、3つを乗せなければいけないという処がおもしろい。

平手の勝負は、五分と五分で、自然の流れでは勝負預かり(引き分け)となるべきもの。
そこで無理やり勝敗を付けようとするなら、1つでは足りなくて、3つを、つまり気も体も剣も総動員する必要があるということなのだろう。

打ち込む相手の剣とそれを切り落とすこちらの剣と、五分と五分の平手の争いだから、ただ型を真似て剣を振れば相手の剣が落ちるというものではない。