剣術を始める数年前のことだが、「ナンバ歩き」なるものに興味を持った。
日本古来の体の動かし方に心惹かれるものがあったのだ。
蛇足だが、剣術を遂に始めたのもこの流れに沿うものである。
で、何冊か本を求め、実践してみた。
研究と言ってもそんな程度だが、今も尚、我流なれどナンバ歩きで歩いている(つもりである)
その過程で気付いたことを、以下、徒然に記したいと思う。
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茨城の日帰り温泉に行った時のことである。
私は、板張りの廊下の端に置かれた縁台に座って、涼んでいた。
私の前を三々五々入湯客が通り過ぎる。
誰も皆、一様に足音が高い。板を踏み鳴らして通り過ぎるのである。
中には、信念を持って踏み締め踏み締め歩くのかと疑う程にドシンドシンと歩いていく者もある。
他人事ながら、膝や足首に掛かる負担は如何ばかりかと心配してしまう。
因みに、私は殆ど足音を立てない。
意識せずともそういう風に歩いている(少し自慢だが)
で、ふと気付いたのだが、同じ様に足音を立てない一団があるのである。
スゥーと通り過ぎて行く。
地元のオバサン、オバアサンのグループである。
年齢は60代より上か、ごく普通の、田舎のオバサン達である。
彼女たちは、ほぼ例外なく、ドシンドシンとは歩かなかった。
多分、彼女たちの歩き方が「ナンバ歩き」なのだろう、と思う。
その時改めて思ったのである。その思った結論のみ記す。
「ナンバ歩き」などというものは、やはり無い。
少なくとも、現代の我々が考えるような、○×歩行術とか○×ウォーキングメソドなどというレベルでは存在しない。
箸の使い方を、教わりつつ習いつつ、されど基本的にはいつの間にか身に付けるように、日常の体の振る舞いの一つとして歩き方を自然に身に付けたのだろうと思う。それを後年の我々が「ナンバ歩き」と呼ぶのは、呼ぶ人間の都合である。
では何故彼女たちなのかは、私の手には余る。
それは、どうして旧い日本の暮らしぶりが特異的にあのオバサンたちに残っているのかという話で、(多分)農家のオバサンたちということもあるだろうし、戦争に行っていない(軍事教練を受けていない)なんてこともあるのかもしれない。いづれにしても、憶測の論になってしまうし、脇道に逸れる。
「ナンバ歩き」など無いというのが、実はナンバを考える上でのキーワードのように思えます。
ナンバについて考えたことを、また書いていきます。
まあ、気の向いた時にだけど。