50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 2 2009.03.18

水之巻(すいのかん)

●原文 兵法二天一流(へいほうにてんいちりゅう)の心、水(みず)を本(もと)として、利方の法(りかたのほう)をおこなふによつて水の巻(すいのかん)として、一流(いちりゅう)の太刀筋(たちすじ)、此書(このしょ)に書顕(かきあらわ)すもの也。

○私訳 兵法二天一流の要は水に倣うことであり、水に倣って利ある兵法を行うものであるから、この巻を「水之巻」と名づけ、当流の太刀筋を書き表わすことにする。

水之巻の冒頭であるが、これだけでは良く分からない。
まァ一応こう訳しておいて先へ進むことにする。

心とは要諦という程の意味なのだろうか。後段を斜め読みすると、確かに水の動きに倣って、一つに囚われない、1つに拘らないことが何度も強調される。

利方の法とは、脚注によれば「利益のある方法」とある。理屈や理念の「理」ではなく、実用性、損得の「利」を用いている処が面白い。合理的というより、合利的なのだ。つまり、(他流に比して)実用的に優位なる兵法という程の意だろう。

ここではルビを振れない。漢字や難しい語句にルビを振れれば、それだけで読み下せるのにと思い、( )で読みを入れてみたが、煩雑でかえって読みにくい。次から止める。

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●原文 此道いづれもこまやかに心の儘にはかきわけがたし。縦ひことばはつゞかざるといふとも、利はおのづからきこゆべし。此書にかきつけたる所、一こと一こと、一字々々にて思案すべし。大形におもひては、道のちがふ事多かるべし。

○私訳 この道について私が会得したものを、私が理解しているままに書き表すことはとても出来ない。
たとえ意を尽くせぬまま言葉が途中で途切れたとしても、よくその言葉に耳を傾け、吟味すれば、説いている利、即ち優位さは自ずから聞こえてくるだろう。だから、ここに書付けたことは、一語一語、一句一句、また一字一字丁寧に思案しなくてはいけない。いい加減に自己流で解釈して、分かった気になるなどもってのほかで、見当違いの道に迷うだけである。

と読み下しつつ、勝手に意訳しているが。

「大形におもひては」とは、「いい加減に思って学んだのでは」と脚注にある。
大形とは大雑把くらいの意味だろうか。

ここの辺りはまだ前文で、本論には到っていない。これと同じ位、まだ前文は続く。