50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 7 兵法心持の事 続き

●原文 静かなる時も心は静かならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は躰につれず、躰は心につれず、心に用心して、身には用心をせず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、うへの心はよはくとも、そこの心をつよく、心を人に見わけられざるやうにして、小身なるものは大きなる事を残らずしり、大身なるものは心にちいさき事を能くしりて、大身も小身も、心を直にして、我身のひいきをせざるやうに心をもつ事肝要也。

○私訳 静かに落ち着いている時も、心は油断せずに目覚めたまま周囲に気を配り、逆にどのように目まぐるしく展開する状況であっても、釣られて心があわただしく動いてはいけない。心は身体に引きづられず、逆に身体も心に引きづられない。例えば辺りを警戒して、心は慎重に用心に用心を重ねていても、心の用心に釣られて身体まで固くなってはいけない。配慮の行き届かぬところが出ぬよう、また飽きて散漫に陥らぬよう心掛け、心の表面は他人に弱く見えても、心の底は強く保ち、くれぐれも他人に心底を見透かされぬよう注意しなければならない。身分低く将に仕える者は、大局的な状況を把握するように心掛け、身分高く卒を用いる者は下情に一々通じておく必要がある。重要な事は、身分の高低に拘らず、心を真っ直ぐに保ち、我欲我執を優先させてはならないという事である。

☆「心は躰につれず、躰は心につれず」、英語で言うとCOOLという事か。

面白いのは、「心を人に見わけられざるやう(心底を見透かされないよう、見透かされて値踏みされないよう)」に気をつけよと言いつつ、他方で「直なる心」を持てと繰り返し述べている事。両者は、一見相反する。更に、この時代の懐疑、猜疑の深さは現代の我々の想像を遥かに超えているはずなのだ。が、見透かされぬ為に他を欺くもやむなしではなく、直であり通しつつ、心底の強さを以って見透かしを跳ね返すべしと説いているのである。現代の誰かが、或いはアニメのキャラクターが、真っ直ぐな心を持てと口にしたら多分鼻白んでしまうが、武蔵が言うと何やら凄みを帯びて聞こえるから不思議だ。

大身・小身とは、身分の高低の事だと思う。