50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 8 兵法心持の事 続き

兵法心持の事 続き

●原文 心の内にごらず、広くして、ひろき所へ智恵を置くべき也。智恵も心もひたとみがく事専也。智恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、物毎の善悪をしり、よろづの芸能、其道其道をわたり、世間の人にすこしもだまされざるやうにして後、兵法の智恵となる心也。兵法の智恵におゐて、とりわきちがふ事有るもの也。戦いの場万事せはしき時なりとも、兵法の道理をきわめ、うごきなき心、能々吟味すべし。

○私訳 例えば我欲我執などで、心を濁らせてはいけない。そういうものを排して心を澄ませ、且つ広く保つ。心に広やかな場所を作って初めて、そこに智恵を据えることが出来るのである。だがら、心も智恵もひたすら磨くことが肝心なのである。
智恵は研がなければ兵法の智恵はならない。天下の道理をわきまえ、物事の良し悪しを知り、芸事や武術、その他諸事全般に亘ってそれぞれ知識を得て、世人の言に惑わされずに自分で判断できるようになって初めて、兵法の智恵と呼びうるものを得る事が出来る。兵法の智恵に於いては、世の常識と全く異なるものも有りうるのである。
万事がせわしく変転する戦いの場に於いて、兵法の道理をきわめて、状況に引きづられぬ自在の心を得るにはどうすれば好いか、よくよく研究しなければならない。

☆「ひろき所へ智恵を置くべき也」、何となく分かるような分からぬような、意味深長な言である。

ここで言う智恵とは、「智に働けば角が立つ」という時の智で、知識や理論に基づいたヘッドワークを意味していると思う。武蔵のいう兵法とは、単に剣術に留まらずく、合戦も含めた武家の法だから、兵法の智恵は合戦の智恵でもある。合戦の場にある1武者の智恵であり、また合戦を指揮する将帥の智恵でもある。そう考えると、我欲我執などと個人に限定するように訳したけれど、自軍に都合の良い様にとか、願望を紛れ込ませてとかと訳したほうが良いのかもしれない。

閑話休題。知識は生半可な場合、それに引きづられて判断を誤ることになる。そうでなくとも知識に依って頭で考えた理屈は、判断を拘束し勝ちである。俗に言う、机上の論議の類である。状況は常に変転する訳だから、知識に捕らわれてはいけない。
更に、世人の評判や判断に振り回されてもいけない。自分の目で見、自分の頭で判断しなくては、変転する状況に対応できないのである。
それやこれやを含めて、「ひろき所へ智恵を置くべき也」と言っているように思える。

知識に捕らわれずして、知識を使いこなすには、知識自体を研ぐ一方、それを使いこなす(置く)心も磨かなくてはならない、即ち両者一対で一組なのである。

☆普通「理非」と書くが、ここでは「利非」と書かれている。その他、「物事」は「物毎」、「善悪」は「ぜんあく」ではなく「よしあし」と読ませる。現代語と同じ意味なのか、別語なのか、ここでは訳し分けてはいない。