50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 11 兵法の目付け -1

一 兵法の目付けといふ事

●原文 目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠くみる事、兵法の専也。


一 どのようにものを見るかについて

○私訳 どのようにものを見るかと言えば、ゆったりと視野を押し広げて、広く大きく見ることが重要である。

ものを見る見方に、「観」と「見」の二つの見方がある。「見」とは目で見る事だが、「観」とは心で観智することである。精神を腹に納めて強い気を発して観る。そうして初めて、観智は得られる。だから、目で直截見る「見」の見方に頼っては、「観」の見方は出来ない。目に見えるものは、時に観る邪魔をすることもあるのである。「観」の目を強くし、「見」の目を弱くせよという所以である。

それは、例えばこういうことである。遠い所を近く見、近い所を遠く見る。
このような見方は、兵法に特有のものであるが、遠くを見る時は、近い場所も視野に収めて近くに注意を払いながら、遠くを見る。また、近くを見る時は、遠く広い視野を保ちながら、近くを見る。近くだけ、遠くだけに焦点を合わせて、焦点の合った所だけを見てはいけない。何故なら、焦点から外れたものは切り捨てられてしまうからである。
大事なことは、全体の状況と直前の状態と両者を同時に把握することだから、心で観て観智を得る以外にない。目に映るもの頼ってはいけないのである。

更に敷衍すればこういうことである。高速道路を運転する時、どこを見て運転するかと言えば、ベテランのドライバーは、直前の車を目の隅に捉えつつ、何台か先の車を目で追っている。決して直前の車を見て運転はしない。直前の車に焦点を合わせることは余りないが、そうする場合は、車の流れや道の状況を視野の外縁部で追っている。
つまり、大事なのは、車の流れや道の状況を刻々把握することだから、それは直前の車に焦点を合わせてしまっては得られないのだ。この把握が即ち「観」、観て、観智するという事である。目で見る「見」はその方策に過ぎないのだから、焦点を固定して、目に見えることに捉われたり、振り回されたりしてはいけない。直前の車のテールランプだけを見て走るのは、初心者の常だが、危険この上ない運転なのである。

☆脚注によれば、「見ト云ハ、目許ニテ見ル事也。観ト云ハ、心ニテ観ル観智ノ事也。精神腹ニ治テ強ク成ル気ヲ発シテ見ルモノ也」(二刀一流極意条々)とある。が、この二刀一流極意条々なるものが武蔵の手になるものかは不明。