50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 19 表の第三の次第

一 おもて第三の次第の事

●原文 第三の構、下段に持ち、ひつさげたる心にして、敵の打ちかくる所を、下より手をはる也。手をはる所を、亦敵はる太刀を打ちおとさんとする所を、こす拍子て、敵打ちたるあと、ニのうでを横にきる心也。下段にて敵の打つ所を一度に打ちとむる事也。下段の構、道をはこぶに、はやき時も遅き時も、出合ふもの也。太刀をとって鍛錬あるべき也。

○私訳 第3の構は、下段に太刀を持つが、太刀を手に下げて待つ程の気持ちで備え、敵が打ちかかってくる所を下から相手の手を打つ。
手を打つ時、或は敵の太刀を打ち落とそうとする場合も、敵の手を打った後、越す拍子で、即ち休まず剣を続けて相手の二の腕を横に切る心掛けが必要である。
敵の打ちを一度で打ち止めることが下段の要である。
相手の太刀には、速い太刀筋もあれば遅い太刀筋もある。(下段の構えは相手に合わせる構えだから)実際に太刀をとって鍛錬に励むことが肝要である。

☆「こす拍子」というのも良く分からない。
脚注には「越す拍子。打ったところをひとまず置き、これを越して、より効果的な次の箇所を打つこと」とある。剣道でいう小手-面のようなものか。

読み違えでなければ、上段では何度でも打てと言っているのに、下段は一度で敵の太刀を止めよと言っているのは面白い。
彼我の違いは、自分で手を作る攻めか、相手の攻めに乗じる返し技か。主導権をどちらが取るかという問題かもしれない。
つまり、受けにはキレが無ければ、ただ押し切られるのみと言うことか。

越す拍子で相手の二の腕を狙うべしという指摘も意味深く思える。
武蔵の真骨頂は「斬れ」である。斬ることを含まない太刀の道はないということなのだ。