50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 22 有構無構のおしへの事

一有構無構のおしへの事

●原文 有構無構といふは、太刀をかまゆるといふ事あるべき事にあらず。され共、五方に置く事あれば、かまへともなるべし。太刀は、敵の縁により、所により、けいきにしたがい、何れの方に置きたりとも、其敵きりよきやうに持つ心なり。上段も時に随ひ、少しさがる心なれば中段となり、中段を利により少しあぐれば上段となる。下段もおりにふれ、少しあぐれば中段となる。両脇の構も、くらいにより少し中へ出せば、中段・下段共なる心也。然るによつて、構はありて構はなきといふ利也。
先ず太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるといふ心也。若し敵のきる太刀を受くる、はる、あたる、ねばる、さわるなどといふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし。うくると思ひ、はるとおもひ、あたるとおもひ、ねばるとおもひ、さわるとおもふによつて、きる事不足なるべし。何事もきる縁と思ふ事肝要也。能々吟味すべし。
兵法大きにして、人数だてといふも構なり。みな合戦に勝つ縁なり。
いつくといふ事悪しし。能々工夫すべし。

○私訳 有構無構(うこうむこう)、つまり「構え」というものの有り無しについて述べる。
 「太刀を構える」ということはあってはならない。これが結論だが、以下順次解説する。
 五方、即ち上段・中段・下段或は左右の脇に太刀を置けば、それを構えと呼んで差し支えない。太刀は、敵の出方に応じ、地形に応じ、場の勢いに応じ、五方のどこであれ、敵を切り易いように持てば良いのである。上段に構えても、時の経過に連れて少し下げ気味に持てば中段となるし、中段も状況に応じて少し上げれば上段となる。下段も時々(の状況)により少し上げれば中段となる。両の脇構えも、同じで、間合いによって少し中へと出せば、中段や下段となる。つまり、構えというものは、状況の推移により、いかようにも変化するものであるから、「構えは有ると同時に構えは無い」と言うべきものなのである。
 太刀を持つならば、どうようにしても敵を切るという意識が最重要である。切りかかってくる敵の太刀を受ける、打ち返す、当てる、粘る、触る等々の敵との応接も、すべて敵を切るひとつのきっかけと捉えなければならない。(ここを曖昧にして)受ける、打ち返す、当てる、粘る、触るという個々の動作それ自体に囚われてしまうと、敵を切るという大本の所に不足を生じ、敵を切ることができない。全てを切る機縁と捉え、且つそのように実践することが肝要なのである。良く研究すべし。
 また大きな兵法、即ち合戦の指揮などに当て嵌めてみると、軍勢の配置、布陣というのも構えである。構えである以上、有構無構であって、布陣は有って同時に無く、全ては合戦に勝つ機縁なのである。
 以上について別の言い方すれば、いつく(居着く)、即ち特定の状況に囚われて、固まり、状況の変化に対応できなくなることは、非常に悪いことである。何故居付くのか、どうすれば避けられるのか、良く工夫すべし。

☆この段は有名な段らしい。耳にした記憶がある。おぼろげなれど。

「構え」という言葉を、2つの意味で別々に使い分けている。
1つ目は「構えなるもの」という程の意味。もう1つは、ある特定の状況での具体的な構え(の形)。
前者を一般、後者を個別と呼んでも良いかもしれない。
敵と我が太刀を持って対峙する時、構えは常に存在する。敵と我の間に然るべく太刀を位置させれば、それが即ち構えである。ここまでの「構え」は前者の「構え」である。
だが、この瞬間に正しかった具体的な構えが次の瞬間にも正しいとは限らない。状況が変化すれば、正しい形、つまり然るべき利のある具体的な構えも変化せざるをえないからである。ここでの「構え」は後者である。
構えなるものは常に存在する。しかし、具体的な構えの形は常に変化する。

ここで武蔵は、お馴染みの2つの命題を追加する。
1.何が正しく、何が正しくないか。また、利が有る無いとはどうことか。
その判定基準は、敵を切るという一事であるべしということである。「何事もきる機縁と思ふ事肝要」である。
2.ここを忘れると、居着く。即ち、囚われ固まって、変化に対応できなくなる。居着くとは、武蔵が最も嫌う状態らしい。

冒頭の、「太刀をかまゆるといふ事あるべき事にあらず」(太刀を構えてはならない)とはこういうことであると思う。
太刀を構えるということを自己目的としてはならない。太刀は確かに構えるが、それは他の凡百と同様、敵を切る機縁の一つに過ぎないし、具体的な構えの形も状況により刻々変化する。
構えにこだわり、構えることを自己目的としてしまったり、特定の構えに固執して居付いてしまったが最後、敵を切るという大本が曖昧になり、敵に勝つことはできなくなる。居着くことを防ぎ、敵に勝つ為には、構えの際にも、敵との応接の際にも、それを自己目的とすることを戒め、全てを敵を切る機縁と捉えることが重要である。