50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 23 一拍子の打の事

一 敵を打つに、一拍子(ひとつひょうし)の打ちの事

●原文 敵を打つひょうしに、一拍子といひて、敵我あたるほどのくらいを得て、敵のわきまえぬうちを心に得て、我身もうごかさず、心もつけず、いかにもはやく、直に打つ拍子也。敵の太刀、ひかん、はづさん、うたんと思ふ心のなきうちを打つ拍子、是一拍子なり。此拍子能くならひ得て、間の拍子をはやく打つ事鍛錬すべし。

○私訳 敵を打つ打ち方の一つに、一拍子というタイミングによる打ち方がある。
これは、敵と我が共に太刀の届く間合いに入った際に、敵にまだ打ち合う準備ができていないと見てとったなら、正にそのタイミングで、自分の身体を動かしたり、敵に気を集中させたりという回り道の動きをせずに、、直に、ひたすら速く相手を打つというものである。敵が、太刀を引こう、外そう、また打とうと言う心の準備が出来ていないところを打つのである。
このタイミングを会得して、敵の心の間を衝いて速く打つ鍛錬をしなさい。

☆拍子というのは、タイミングという意味だろうか。とすると、一拍子の一とは、one ではなく、the first 、乃至両者を併せたものだろうか。

武蔵の別の書付(兵法35箇条)では、「心おそき敵には、我身を動さず、太刀のおこりを知らせず、はやく空にあたる、是一拍子也」とある。心おそき敵とは、大胆に意訳すれば、逸らずにゆったりと試合おうとする敵で、打つまたは引く外すなどの態勢が未だ整っていない状態の敵だと思う。

一拍子という漢字の語感から、一挙動と混同していたが、両者は別物であると思う。但し通底するものはある気がする。

すぅーっと読み流してしまいそうだが、「我身もうごかさず、心もつけず」が肝要である。余計な事はしない。回り道もしない。具体的な意味でも象徴的な意味でも、「直に」打つのである。
兵法35箇条には、「太刀のおこりを知らせず」とある。おこりを知らせずに打つとは、ためないということである。直に打つには、そういうことも含まれるのだろう。一挙動に通じるものがあるように思う。