50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 24 ニのこしの拍子の事

一 二のこしの拍子の事

●原文 二のこしの拍子、我打ちださんとする時、敵はやく引き、はやくはりのくるやうなる時は、我打つとみせて、敵のはりてたるむ所を打ち、引きてたるむ所を打つ、是ニのこしの打也。此書付斗(ばかり)にては、中々打得がたかるべし。おしへうけては、忽ち合点のゆく所也。

○私訳 「二残しの拍子」という拍子(タイミング)がある。これは、我方が打ち出そうとする時に、もし敵が素早く対応して速く引き、また速く打ち返して来そうな場合に用いる拍子である。
そのような時は、我方は打つと見せて打ちを残す、即ち打たずに残し敵に仕掛けさせるのである。敵に先に打たせ、打ち終わって緩んだ所を打つ、または引いて僅かに緩んだ所を打つ。これが「ニ残しの拍子」の打ちである。
 この書付を読んだだけでは中々習得し難いものであるが、直接教えを受ければすぐに理解できるはずである。

☆何となく読めてしまうのだが、逐語的に追っていくと隘路に嵌る。
そもそも「ニのこし」とは何? 「ニ残し」?「ニの越し」?
「ニ」とは具体的には何? 何が一つ目で、何がニつ目? それとも2個の意味?
「ニ」と「のこし」はどう繋がるの? のこし=残しだとして、ニを残すのか、残した状態のニなのか?
当分、打ちについての記述が続くから、読み進むうちに分かるかもしれないとして、ここでは当座の訳で先に進む。

兵法三十五箇条「敵の気はやきには、我が身と心を打ち、敵動きの迹(あと)を打事、是ニのこしと云也」

敵に先に打たせて(又は引かせて)その後を打つという拍子だが、それだけなら「ニ拍子」とすれば良いはずだ。敵の動きが一、それを得て我方の打ちが二。一拍子に対するニ拍子。
わざわざ「残し」と銘打つにはそれなりの理由が無ければならぬ。この「残し」が曲者で、肝要な点なのだと思う。

「我が身と心を打ち」とある。心と身と太刀と、この三者を以って打てとはどの流派でも教えるところだと思うが、武蔵はここでは心と身でまず打てと言っている。だが、剣の打ちは残す。敵の動きを待って打つのである。だから、肝要なのはまず心と身で打つことなのだ。

そう言えば、一拍子のところでは真逆のことを言っていた。「我身も動かさず、心も付けず」そうして「直に打つ拍子」が一拍子であった。身も心も打たず、それらの打つ動きの前に太刀をいかにもはやく打つべしとするのである。

もう少し後の段で、「敵を打つに、太刀も身も、一度には打たざるもの也」と言っている。
心で打つ、身で打つとは具体的にどうのようなことなのか、太刀で打つを含めた3者の関係の如何は隠れたテーマかもしれない。