50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

口上

口上
 
古武道の剣術を始めて3年になろうとしています。
剣道ではなく、古流の兵法で、一刀流剣術です。
 
これまで「稽古日記」と題して日々の稽古メモを記してきたのですが、それは文字通り稽古のメモ。そのように内容を限定したつもりのものです。
 
と言うのも、当然と言えば当然ながら、自分で出来もしないことを先走って言葉にするのは僭越というもので厭わしい。実際に自ら体験した稽古とそこから手の届く範囲の技術論が、丁度身の丈に合っているように感じられたからです。
 
まぁ、それはそれで良いのですが、如何せん読んでもちっとも面白くない。
書いている本人が読み返しもしない。
 
で、3年経って、まぁちょっと早いけど、少し自分で喋っても良いかなと思うに至った次第です。
古武術、剣術、剣道、古流の体術、或は日本の伝統的な身体使い、身ごなしなどに関心のある方に話題を提供できたらと思っています。
 
 
初めなので少し外形的なことを記しておきます。
 
古流の一刀流剣術と書きましたが、正確には「会津伝小野派一刀流」。その名の通り会津藩に伝わる小野派一刀流という流派の剣術で、幕末に生まれた武田惣角という先生の流れに連なるものです。
 
剣術は剣道とは別物と考えた方が良いかもしれません。
防具は使わず、竹刀ではなく木刀で打ち合います。
物打ち(切先から10cm程下の部分)が額に当たる間合いで実際に打ち合います。受けるなり、切落とすなりしなければ、そのまま木刀が額に当たります。
実際には空振りが結構あって、おっとっとと、打つ軌道を逸らして回避しています。
試合は一切しません。技と形を繰り返します。
当派では、気合とか掛け声を掛けないので、無言無音の中で木刀の当たる音だけが甲高く響きます。と決まるとかっこいいのですが、実際には相互に批評し合う声や嘆息やぼやきが木刀の音と交じり合います。
 
稽古は週1回。私に関して言うと、当初は剣術のみで1時間程でしたが、現在は剣術の他、合気道・居合い・大東流合氣柔術と間口が広がって、休憩を含めて5時間程の稽古です。
 
5時間というのは私にはハードで、最近は少し慣れましたが、それでも土曜に稽古して翌週半ばまで筋肉痛が続くし、何より1週間経つと前週摑んだことを忘れてしまう。近頃は開き直って、1つはしっかり覚えよう、2つ以上残っていたら儲けものと思っています。
 
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私自身は、高校の部活以来40年近くスポーツとは全く無縁の文系チェーンスモーカーの生活から、ある日ふと禁煙を思い立ち、なんとなく禁煙できて、50を過ぎて剣術を始め、現在は50代の半ばになっています。高血圧と高脂血症の薬を飲み、膝が悪くて正座はできず、腰痛持ちで、地下鉄の階段で息が切れます。
 
一言で言うと、メタボに皮1枚で踏みとどまっている(ウエストは85cmに至っていない)、且つ膝と腰と歯が悪いおっさん。
このブログの「50を過ぎて剣術入門」というタイトルも、こんな俺でどこまで出来るのかという気分で付けたものです。
 
そういうおっさんが稽古を続けている。
反対から言うと、そういうおっさんでも続けられる稽古なのですが、ここに当派の特徴があるかなと思います。
 
若い人や格闘技命の人から見ると「ユルイ」と見放されそうだし、カルチャーセンターの護身術講座と何が違うのと突っ込まれそうだし、私自身、武術をやっていますと自称するのはオコガマシイかなという気も半分あるのだけれど、それは多分、半分正しくて半分は違う。
 
この稽古は、決してユルイと評価されるべきものではないと思っています。
何故そうなのかは、このブログのメインテーマでもあるので、追々触れるとして、ここでは、文の帰結として以下。
 
半分違うというのは、剣術は日本古来の身体使いの上に成り立っていて、(一般にそれと聞いてイメージするところの)力やスピードを追求することはせず、(少なくとも当派に於いては)むしろそれらを捨てた上で、別の原理と能力を求めています。
筋トレを必須とし、力やスピードを追求する一部の(或は大半の)格闘技とは別の世界に成り立っている訳です。それ故、稽古方法も評価基準も自ずから異なるというのがその理由です。
 
半分正しいというのは、そうではあれど、武術は武術。鍛も錬も要するの当然で、やるべき時にやるべき内容をやらねば、お楽しみのレベルで終わってしまう。それはそれで良いとは思いますが、少なくとも武道をやっているとは自称すべきではない。
そう思います。
 
私の関心は、日本古来の身体使い、身ごなしといった処に向いてしまうのですが、稽古の中で思ったこと、発見したことを記せればと思っています。
 
 ◆
 
因みに「水撃三千里」というのは、自分のやることを自分の流儀でやる、或は俺は俺で勝手にやるから、笑いたきゃ勝手に笑ってろとか、その位の意味で使っています。