50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

事故のこと。身体に謙虚になるべきこと。

1月の終わりに交通事故を起こした。
単独事故。運転中に意識を失った…失った原因は幾つか推定されるが、未だ特定するには至っていない。乗っていた車は大破した。幸いなことに、巻き添えになった車も歩行者も居なかった。私自身が受けたダメージも打撲程度であったが、車の壊れ方から要経過観察と判断されて、10日程入院した。大きな障害も現れず、無事退院した。退院して10日程、現在に至る。

ここからが本題である。
人間の身体とは不思議なものだ、良くできたものだと思う。

事故直後から、数日の間、元気だった。
「あれだけ車は壊れたのに、自分はかすり傷で済んだ(実際は打ち身だが)」と、幾分自慢気に思ったりした。事故の翌週から仕事に出る積りでいた。
だが、その数日が過ぎると目に見えて意気地がなくなった。
病室から10m程の所にあるトイレに行くのも一仕事となった。ただベッドに横になって、1日を過ごした。当初は痛くなかった膝や腰が痛みだした。

思うに、危機に直面して、身体は持てるエネルギーを総動員して危機に対応したのだろう。具体的にどんなことをしたのか、私には窺い知れぬ。アドレナリンやドーパミンを放出しまくったのかもししれない。衝撃で傷んだ筋肉その他を修復したのかもしれない。いずれにしてもそれは、私の意志や意識に関わりなく、というよりそんなものにかかずりあうことなく、身体は自分のすべき仕事を果たしたということである。
そして、そのエネルギー(気とでも、元気とでも呼びたいように呼べばよいが)の蓄えを使い切って、低エネルギーの情態に陥ったのだと思う。昔ながらの言い方をすれば、「気の張った」情態から「意気地のない」情態へということなのだろう。


事故に至る経緯は覚えていない。時間にすれば数秒もないだろうが、前述のように、運転中に意識が飛んで事故となったのだから。だが、ぶつかるまでの数瞬のことは、それは1秒にも満たないかもしれないが、ハッキリ覚えている。ぶつかる間際に一旦失った意識が戻ったのだ。

まず最初に、車が或いは身体が振り回されている感覚、或いはそういう慣性のモーメントの感覚があった。この時、映像は無い。暗い中、身体が振り回されてるという、いわば触覚のみ。「やばい。これだけ振り回されればぶつかるぞ」と考えたことを覚えている。

ついで、視界が戻った。ひどく暗くて、うす暗い車内しか見えない。どこにいるのだろうと訝った。フロントガラスはただ不透明の灰色の壁で、その向こうは見えない。トンネルの中のように思えたが、なんでトンネルにいるのか分からない。分からないながら、もうすぐどこかにぶつかることは分かっていて、「事故の前には全てが鮮明に認識できて、それはスローモーションでモノクロなのだという。だから、こんなにうす暗くモノクロで見えているのかな」なんて他人事みたいに考えていた。
とにかくひどく暗くて、うす暗い車内しか見えなかった。実際は鉄道のガード下だった。

そして、左前部が信号機に衝突した。
エアバッグが爆発した。爆発する模様など捉えられる訳はないのだが、2~3コマ位の分解写真のように見えた気がする。「(もっと瞬時に視界を覆い尽くすのかと思っていたけど)意外にしょぼい爆発だな」と思った記憶がある。

ぶつかって、そのままの姿勢でいた。数秒あったか、なかったか。意識はハッキリしていた。「車が炎上したら大変だな」と急に思い至った。急いでシートベルトを外し、ドアを開けて車外に逃れた。自分で立って、歩いて、車から離れて、ガードの鉄柱にもたれかかったが、首の後ろが痛いので地面に横になった。この時以降、後続の車の人の助けを借り、また状況を説明して貰った。
何処のどなたであったか、ただただ一方的に迷惑をかけ、嫌な顔もせず助けていただいた。ありがとうございました。

後から組み立ててみると、これ以上ないというベストのぶつかり方をしたと思う。
もう数秒、早ければ対向車と直接正面衝突したか、左の側壁にぶつかって反対車線に跳ね返り、対向車と衝突した可能性が高い。もう数秒遅ければ、ガードの鉄柱に正面又は右前部(運転席側)をぶつけた可能性が高い。
ぶつかったガード下は、信号機のある交差点で、左の緩いクランク状のカーブになっている。ガードの鉄柱のおかげで対向車とぶつかることはない。更にタイミングから、減速して左へハンドルをきる(意識を持ち始める)あたりで意識を失ったらしい。
アクセルを踏む足が緩んだか、或いはブレーキを踏むべく足を離したのか、実際にブレーキを踏んだのか、車は減速したようだ。加えて左側壁に左鼻を擦って更に減速した上で、左鼻を(つまり運転手に最も打撃の少ないか個所を)信号機の柱にぶつけて止まった。

もし、一つでも悪い組み合わせになっていたらと思うと、空恐ろしい。
能天気に「かすり傷で済んだ」などと嘯いているいる時に、身体は、私の意識など勝手に抛っておいてかかずりあわず、危機に対処すべく持てるエネルギーを総動員して自分の仕事をした。
エネルギーを使い果たして2週間ほど経つが、まだ元気には程遠い。「薄皮を剥がすように」と昔から言うが、なるほど少しづつ回復している。

諸般の理由はあれど、早く仕事に復帰すべきと焦ってはならない。
謙虚に、自分の身体の声に耳を傾けることが必要なのだと改めて思う。