50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 212 2022/03/19

先週に続いて今年2回目となるが、本当に久方ぶりの稽古。1時間ほど。

1時間持ったのが驚き。体力が落ちている。

 

思っていた以上に、身体が動いたし、忘れていなかった。

ということは、感じた以上に動けていないし、忘れているということなのかもしれない。

 

素振り

●身体を動かさない。

●避けられない。避ける速度が遅くて、避けきれないように感じるが、反射神経云々という問題ではなく、見えていなのだろう。機敏・緩慢というのは、運動中の速度というよりは、起動の遅速と思う。そして、見えないというのは、自分が動いているからだろう。而して、身体を動かさないという原点に戻る。

 

中心を取る

●精度が必要。且つずっと維持することが課題。

●相手が回り込んで打ち込んでくるように見えることが多い。だが、先生と対する時、その感覚は得られない。今更気づいたことではあるが、それは中心を取っているからこそそう見えたのだろう。

●課題は、剣が触れて後に、或いは後にこそ、中心を取り続けること。それはまた、別の次元の課題と思う。

 

交点を維持する

●「中心を取る」に関連するが、剣の刃上で交点を感じなければ先に進めないかもしれない。

●剣を振る時、私を含めて大多数の者は、ただ腕を振っているだけなのに、剣を振っていると思い込んでいる。意識を切先に通して、切先の動きを感得できるようになれば、剣を振るレベルが上がる。

ものの本によれば、江戸時代の何とかいう剣豪は、切先の1尺(約30cm)先で相手を斬ることが極意と教えたそうな。そうすれば1尺長い刀で対することになる。2尺4寸(70cm余)の刀を用いながら、3尺4寸(1m余)の刀に変身する。その利点や思うべし。1尺(約30cm)は3寸(約10㎝)の記憶違いかもしれないが、そういうものなのだろうと思う。

●まずは剣の刃上で交点を感じなければ、相手を崩すことはできない。というか、主導的に状況を制御できない。多分、それが技術ないし技能というものなのだろう。

 

しかし、できないことがあるというのは本当に良いことだ。

歳を食うと、失敗や間違いや恥やをしなくなる。というか、できなくなる。

‥別の範疇のそれらに襲われることに直面するが、それはまた、別の話。

それだけでも、剣術を続ける意義はあるかもしれない。