50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 38 2009.11.07

仕事で剣術のみ参加。いつもに増して少人数、丁寧に稽古。

●抜刀
左半身で抜くことが要なれど、抜き方のバリエーションにより、左半身の使い方も又様々あり。
今日は、初歩に帰って、居合い腰から撞木足に変化させての抜刀。

抜いた剣の位置を注意される。鋩子(切先)が胸(乳首)の高さとのこと。

等加速度運動は当然なれど、そこに注意が縛られると、他が疎かになる。
撞木足が崩れて、後ろ足重心となっているらし。
そうか、撞木足の眼目は両足の間に軸を立てることなのかと、今更ながら、一つお勉強。

抜ききった時、左の肩・胸・肘を下げない、形を崩さない。特に肘は要注意。

●八相からの打ち込み(初動を消す)
正眼に構えた受け手の剣に、八相から打ち込む。受け手は、打ち込みの気配を察知したら剣を引き、空振りさせる。
遠くから打ち込む訳だから、どうしても避けられてしまう。
逆から言えば、避け易い。「来るぞ」というのが分かる。

さて今日は更に突っ込んで、「来るぞ」とは、具体的にどの動きで分かるのかと、改めて問われる。
何となくでは答えにならず、例えば肩の緊張により察知できるのなら、肩を緊張させずに動き出すにはどうすれば良いかを考えよと。
課題が増えた。

●八相からの切落とし
剣の下に入ることを意識するが、一筋縄ではいかない。

相手に正眼に構えて貰い、ゆっくりと手順を浚う。
(剣の下を意識する余り)八相から繰り出す剣が寝てしまうとの指摘。何度も当たり具合を直される。
(当たってから)剣は置くだけと教えられるが、力で動かしてしまう。鏡を見ながら自分の動きをチェックする。
一つ気がついたこと、撞木足から水平に身体を沈めるのではなく、前足の膝は曲げたまま後ろ足の膝を伸ばして、自然に前傾姿勢となるべきや。

今度は、正眼から振りかぶって打ち込んで貰う。その打ち込みを八相から切落とす。
剣の下に捉われると、受けの要素が入って切落としではなくなる。
相打ちを意識すると、勢いに任せたものになる。

●脇構えからの払い
正眼から打ちを、脇構えから払う。表と裏。裏は窮屈、言うまでもないが。

八相からの切落としと脇構えからの払いの違いは、当然ある訳だが、それが課題となるのはまだ先の話。今は手順とタイミングを浚う段階。

前々回か、動きが小さい、剣を投げ出すように払えと教えられた。それを思い出す。

先生の演技は、中央を圧迫されて、制圧される感覚がある。
初動が見える見えないというレベルではなく、突然袈裟に剣が繰り出されてこちらの剣が払われる訳だが、その動きとは別に、身体全体で中央を圧迫され押し込まれてしまう。

相手の胸に入るとか、気を通すとか、或は入り身とか、そういうことなのかもしれないが、今回それを体感できたことは素直に嬉しい。

●気を通す
遅ればせながらではあるが、剣に気を通すことを意識する。

前回、打ち込む途中で気が抜けてしまうと指摘された。
稽古台(打太刀)となって、正眼から間合いを詰めて振りかぶり打ち込む訳だが、その際、振りかぶったあたりで気が抜けるという。
実は気という形では意識はしていなくて、正眼の切先を相手の目から外さぬことだけを心掛けていたのだが、そうか気を通さねばならないのかと気がついた次第。

で、今日は、構えた時点で、切先を意識する。而して気が切先まで通っていることをイメージする。
今日は切先の意識を途切らせぬことだけを心掛ける。
そのせいだと良いのだが、相手の中心に素直に振り下ろせたと思えたことが何回かあった。

そう言えば、体術でも、指先のぞんざいな扱いを注意されたことがあった。
神経を行き渡らせるとは、もう一歩進めれば、気を通すことに通ずるのだろう。