50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 47 201.02.06

●体術
ここ何週間か続けて「繋がる」をキーワードに。
繋がるは、合氣と言い換えても良い。

彼我の軸を一致させ、その一致した対応線上で運動する。
この位置関係にあれば、この運動は成立可能だという経験に基づく判断が、即ち繋がる感覚の中身だという。

合氣上げや手解きの場合、合氣が成立している、相手の肩を捉えているという感覚はつかみ易い。
この位置関係にあるから技は掛かるだろうという感覚もまた得られる(こともある)。

だが、2教となると捉えられない。
1教は、技なのか力なのか未だし。

別の問題として、技が掛かる掛からないに於いては、身体使いの問題もある。
たとえ良い位置にあったとしても、接点でぶつかればそれまでとなる。

技の稽古では、2教と1教。
当面、1教に取り組みたいと思う。

●居合い
左半身を使って抜刀する。

左半身を落とす感覚で抜刀し、そのまま切り下ろすと、一挙動で行える。
しかし、右手で剣を抜き、切り下ろすのは、どんなに素早く振ったとしても二挙動となる。
速さは関係ない。

左半身を落とすイメージで動いているのだが、さて実際にはどこまでそうなっているのか。

何週か前、居合いではないのだが、中段から振りかぶって振り下ろすを一挙動で行うというのをやった。膝と腰を柔らかく使えれば可能だとの話だった。
その時は雲をつかむような話で、実現は遠い先の話だろうと思ったのだが、左半身を落として抜刀が身に付けば、ちょっと遠い先、忘年会位には目鼻がつくかもしれない。

切り込み
接点をわずかに移動させるだけなのだという。

薄皮を剥ぐように(快復する)なる言い方がある。
未だ結果は出ないとは言え、そのように肉薄しつつあるという感じがある。
あと僅かなのだが。

こういう指摘を受けた。
先生の場合は気がズゥーッと持続していて且つ強いのだが、私は一時気を通したとしても、次の動作に移った時に気が途切れてしまう。

自分では気づかなかったが、掛けるべき時点で掛かっていないことになる。
そういうことなのかもしれない。

●八相からの切落とし
実はこの技について密かに工夫があって、今日試してみた。

即ち、自分の剣が相手の剣に当たる時点で、剣に身体が入っていることが決定的に重要だとすれば、そのためにはどうすれば良いのかを考えた。

八相から振り始めた剣が成り行きのまま途中で相手の剣に当たるとして、その時点でどう身体を入れるかを考えるのではなくて、発想を逆転させれば良い。
正しい位置で正しく当てるべく、即ち剣に身体が入った状態で相手の剣に当たるよう意図して八相から振り始めれば良い。当たった後は、そのまま自分の中心に剣を置けだけで良いはず。

言葉にすると、何度も先生が解説されたことをなぞっているだけに聞こえるが、構えた時の剣の位置、当たった時の剣の角度や位置、足や腰の角度や位置など具体的に工夫すべきことはたくさんある。家で幾つか試してみて、それなりのイメージを作ってみた。

今日は、そんなイメージをもって臨んだというレベルだが、結果はそれなりに良。
ゆっくり行えば意図に沿ってそれなりに動けるのだが、速く振ろうとすると、力んで力任せになってしまい台無し。

当たった時に、どういう状態になっていれば剣に身体が入っていると言えるのか、もっと詰めないといけない。

この考え方は正眼の切落としにも通用すると思うのだが、今は、具体的なイメージは浮かばない。