50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 13 太刀の持ちやう

一太刀の持ちやうの事

●原文 太刀のとりやうは、大指ひとさしを浮ける心に持ち、たけ指しめずゆるまず、くすしゆび・小指をしむる心にして持つ也。手の内にはくつろぎのある事悪しし。敵をきるものなりとおもひて、太刀をとるべし。敵をきる時も、手のうちにかわりなく、手のすくまざるやうに持つべし。もし敵の太刀をはる事、うくる事、あたる事、おさゆる事ありとも、大ゆび・ひとさしゆびばかりを、少し替わる心にして、とにも角にも、きるとおもひて、太刀をとるべし。ためしものなどきる時の手の内も、兵法にしてきる時の手のうちも、人をきるといふ手の内に替わる事なし。惣而(そうじて)、太刀にても、手にても、いつくといふ事をきらふ。いつくは、しぬる手也。いつかざるは、いきる手也。能々心得べきもの也。


○私訳 太刀の持ち方は、親指と人差し指は浮かせる気持ちで、中指は締めるとも緩めるともなく、薬指と小指を締める気持ちで持つ。同時に、柄の握りに緩みがあってはいけない。

太刀とは敵を切る為のものである。そう肝に据えて、太刀を取らなければいけない。
敵を切る時、構えた太刀の握りのまま切る。だから、手がすくんでしまわぬよう、萎縮したり、ギクシャクしたりすることのの無いよう太刀を持たなければならない。
仮に敵の太刀に対して、張ったり、受けたり、当てたり、押さえたりなどの動きを執るとしても、親指と人差し指の持ち方だけを少し変える程度に留める。兎にも角にも、切るという唯1点のために太刀を手にしていることを片時も忘れてはならない。
また、据えもの切りの時の太刀の握りも、太刀と太刀の果し合いの時の握りも、人を切るという握り方に替わりはなく、同じである。

総じて言えば、太刀にしても、手にしても、居付くことを嫌う。居付くとは、その場で固まって、自由な動きを失うことを言う。居付いた手は死んだ手であり、居付かぬ手こそ生きている手である。
ここのところ、よくよく心に留めておくように。


☆同じ武蔵の書付に「兵法三十五箇条」というものがある。こちらの方がより実践的且つ具体的で、分かり易い。その第3条が「太刀取様の事」であるが、そこから補足する。

●「太刀にも手にも、生死と云事有り。…切る心をわすれて居付く手、是れ死ぬると云也。生ると云は、太刀も手も出合やすく、かたまらずして、切り能(よ)き様にやすらかなるを、是れ生る手と云也」

○「太刀にも手にも生き死にということがある。…切る心を忘れて、固まってしまった手は死んでいる。生きているというのは、切る動作にそのまま移行すべく、柔らかく固まらずにある状態を言う」

また新たにこんな説明もある。
●「手くびはからむ事なく、ひぢはのびすぎず、かゞみすぎず、うでの上筋弱く、下すじ強く持也」

正確さに自信はないが、訳すと、
○「手首は交差させず、肘は伸ばし過ぎない。上体を屈め過ぎてはいけない。太刀を持つ腕は、上のスジを弱く、下のスジを強くという風に力を按配する」

上筋弱く以下は、つまり、腕の筋肉で太刀を持つのではなく、むしろ腕の力は抜いて、体幹の筋肉を活用せよということだと思う。腕の筋肉で太刀を構えることは、居付くことに通じる。