50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

稽古日記 101 2011.12.10

1挙動での動き(2挙動の矯正)
1挙動とか2挙動とか耳慣れないかもしれないが、これが入門者泣かせの難物なのだ。黒帯になれば会得しているはずなのだが、なかなか。特定の動きはうまくいっても、それ以外は無残とか、ある日はたまたま、されど1週間経つと元の木阿弥なんてことがむしろ常態なのである。
 
1挙動とは、動作を始めて、継続し、終わるという一連の動きを「一」で完結すること。1挙動で動ければ、初動の気配を消すことに繋がり、従って受ける側は受けきれない。
2挙動とは、1挙動ではない動作。要するに1、2…と動作が分断されること。当然、ある程度のレベルになれば、2挙動では技は掛からない(受けられてしまう)。
 
剣で言えば、1挙動とは青眼から振り上げて振り下ろす、これを「一」で始めて且つ終わる。
2挙動とは、1で振り上げて、2で振り上げたまま間を測り、3で振り下ろすなんていうのが典型。この場合は3挙動となるのだろうが、多挙動という意味で2挙動と呼んでいる。どんなに短時間で行っても、連続的に行っても、1・2・3と分断されればダメ。他派は知らず、少なくとも当派ではこれを厭う。
 
合気道ではもっと顕著で、多分全ての動きや技が、1挙動で為されることを要請している。
 
1挙動が難しいのは、「一」で始めると同時に完結するという動きに、たくさんの未体験の要素が含まれるからだと思う。
例えば、初動の動きや気配を消すこと(これはある面では1挙動の結果でもあるが)、身体を入れること(気剣体を一致させること)、胸や腰の緩みで動くこと、落下の反力で力を得ること(例えば、踵から力を得るが、それは踵で地面を蹴るのではない)、「気」を通して且つそれを維持すること、自分の身体の軸を立てていること、相手の軸を崩すこと(自分と相手との特定の力学的関係=「合氣」を維持すること)、これを言い換えると接点(或は三角の関係)を崩さないこと…などなど。
 
改めて書き連ねてみると、よくもまぁ、これだけのことが出来るものだと思うが、これは思い浮かぶままの見出しに過ぎない。
例えば、初動を消すという課題では、私の場合、「タメを作らない」なんてのが筆頭に来るのだけれど、腕や肩で動こうとするとタメは必ず生ずるのである。正確には、タメを作らないと、腕や肩は動けないものなのだ。で、腕や肩ではなく動こうとすると、胸の緩みだとか、飛ばすとか、軸を立てるとか、ズルズルと別の課題が引っ張り出されてくる。限がない。
だから、何と言うか、あっちの顔を立て、こっちの義理を果たし、という感じに、少しづつ、騙し騙し全体をレベルアップしないと、ものにならない。そのくせと言うか、当然と言うか、一つ忘れると、一変に前のレベルに大きく戻ってしまうのだ。賽の河原の石積みに似ている。うまく行かない時は、そう思う。
 
短刀(ナイフ)を持った相手に対する応手
これは大東流で以前にやっている。1本取りという応手が要。短刀で斬りつける相手の肘を、同じ側の掌で受ける。右手で斬りつけてくれば、その肘(即ち右肘)を、正確には肘の少し下(上腕側)を、こちらは左の掌で押さえる。身体を入れないと押えられない。相手の強さにもよるが、弱ければ肘の下を摑んで、そこにある急所を指で極める。強ければ、なまじに摑もうとせず、掌でしっかり受け止める。
そこから先は、崩し方のバリエーション。1本取りさえしっかり極められれば、あとはどう料理するかという話で、状況と好みと気分による。
 
ここでも、1挙動という要請はあるのだろうが、投げを含む柔術系の技は、そこら辺は大雑把で良いので好きだ。相手は刃物を持っているのだから、力技でも、強引でも、まぁいいじゃん、少し位なら眼を瞑るというところが良い。
 
剣術 切落とし
やっと相青眼からの切落としで、「こう出来れば良いのだ」という目的地が垣間見えた気がする。山登り(ハイキングしかしたことはないが)では、見えてからが遠いというが、それでも見えたと見えぬでは大違い。ここをこうすれば、という工夫も湧くというものだ。
 
多分、気を直線的に入れないとならない。これは新たな課題。
もう一つ、動きが大きいという指摘に対しては、対策として直線的に切り込むことが必要。また左手の動きを見直すことも必要か。手首を捏ねないことにも留意すべき。