50を過ぎて剣術入門、気がつけば60超え

古武術の稽古日記です。

五輪書を読む 水之巻 26 流水の打といふ事

一 流水の打といふ事

●原文 流水の打といひて、敵相になりてせりあふ時、敵ははやくひかん、はやくはづさん、早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大きになって、太刀を我身のあとより、いかほどもゆるゆると、よどみのあるやうに、大きにつよく打つ事也。
此打、ならひ得ては、慥か(たしか)に打ちよきもの也。敵のくらいを見わくる事肝要也。

★兵法三十五箇条「おくれ拍子と云うは、敵太刀にてはらんとし、受んとする時、いかにもおそく、中にてよどむ心にして、まを打亊、おくれ拍子也」

○私訳 流水の打ちという打ちがある。敵と互いに間合いに入って競り合う際、敵が早く引こう、外そう、我太刀を払い除けようと急ぐ気配を感じられたら、我方は逆に、身も心も大きく保ち、太刀は身に遅らせ、いかにもゆったりとした調子で、大きく強く打つべきである。あたかも川の流れが、淵に至りては緩んで淀み、淵を終えてまた速く流れ始めるように、中途に於いて淀む心を持ち、そうして敵の間を打つのである。
この打ちは、身につければ確かに使い勝手が良い打ち方である。敵の間合いを見切ることが肝要である。

☆「身も心も大きくして、強く打て」というのは面白い。強く打つにも色々あるだろうが、ここでは身も心も大きくするのである。

淀む気持ちで遅れて打つというのは、あまり実感がわかないが、敵の急いた調子に追随しては勝機は無いということか。敵をして我に従属せしめよ。どちらが自分の調子や間で戦えるか、という争いなのかもしれない。